ブログ百科ララ♫

幸せな人生を送るために書くブログ集

日本の伝統文化、詩吟を始めました。清々しい魅力ある世界です!

こんにちわ。

ブログ百科ララの杏花です。

 

夏だか冬だかわからない極端な季節の変わりように翻弄された時期も過ぎ、

秋晴れが続いているこのごろ。

 

でも、いよいよ冬の到来も真近なようで紅葉の便りが各地できかれます。

 

出典:photoAC


私は少し前に始めた詩吟教室に毎週末通っています。

 

これまで全く考えたことのなかった詩吟ですがとても楽しい。

 

教室は町の会館の一室で2時間ほどおこなわれます。

 

稽古はここ以外にもいくつかの教室で指導していらっしゃる吟道数十年の男性と、段位の高い補佐役の女の先生によって進行していきます。

 

生徒は男性、女性合わせて10名くらい。みんなで発声練習や合吟をしたあと、一人一人名指しされ自分のレッスンする詩(うた)を吟じて指導、批評を頂きます。

 

長い人はコンクールや昇段試験などに向けて、私のような初心者も課題曲を決めてそれぞれ詠(うた)います。

 

ところがコロナ下で、詠うにも話をするにもみんなマスクをしたままの状態なので、顔は目の感じくらいしかわからない。

 

声はすれどもいまだにどういった感じの人なのか、また年齢などもつかめず。

 

でも共通しているのは、お腹から声を出す詩吟をやっているせいか、皆さん姿勢や声などもしゃきっとした感じで若々しい感じがします。

 

私が入会してから間もなく、詩吟の大会が市の音楽ホールで行われましたが、入って間もない私も複数で詠う「合吟の部」に参加することになりました!

 

初回のブログにも記しましたが、中国の詩人杜牧(とぼく)の「清明」という漢詩です。

 

これまでの人生で、時によっては人前に立って何かをやるということはありましたが、まさか詩吟で舞台に立つとは思いもよらなかった。

 

ここしばらくコロナ下で比較的静かに過ごしていた私としては、久々に多くの人に交じっての賑やかな一日でした。

 

今回の大会では他の教室、支部の人たちの歌を聞くことが出来、中には惚れ惚れする歌を吟じる方がいて大変刺激になりました。

 

始めたばかりの詩吟ですが、詩吟とはいったいどういったものなのか?

 

また詩吟はどのようにして今に至ったかなど、私にとってはわからないことばかりなので基本的なことを調べてみました。

「詩吟とは」:主として漢詩に音節をつけて詠うこと。

 

「詩吟の歴史」:詩吟の始まりは江戸時代後期、私塾や藩校で漢学の勉強や精神修養の為、漢詩素読(朗読)に素朴な節をつけて吟じられるようになった。

 

特に広瀬淡窓(ひろせたんそう)という教育者が私塾「桂林荘」の塾生に詠わせた吟法(節回し)が口伝によって各藩に伝えられ全国に波及していったと伝えられている。

 

幕末の武士たちも愛した詩吟、これは単なる歌と言うより歴史を学び漢文に馴染むことを武士の教養とした、日本の近代未来を作り上げた一つの文化でもある。

 

「流派」:現在、全国合わせて数百あるといわれる。

 

流派が一同に会する全国コンクールは、年に一度武道館で行われるが、

ここ数年は東京オリンピックやコロナ下での諸事情もあって、他の音楽ホールで開催されている。

 

詩吟は関西の方(例として山口)が盛んで上手と言われているが、倒幕に燃え学びに邁進した志士たちの影響か?との見方がある。

 

「伴奏」:もとは無伴奏だったが、その後、尺八・横笛の伴奏となり現在は詩吟コンダクターという電子邦楽器が使われる(これは音程の確認にも用いる)

 

「詩吟の種類」:現代では、漢詩の他に和歌・短歌・俳句・俳諧歌・新体詩(欧州スタイルの詩形式)などが吟じられる。

 

これらで主とされるものを一通り覚えるのには、7,8年から10年かかるといわれる。

 

参考文献:「幕末の武士たちも愛した詩吟とは?奥深い歴史と世界を徹徹解説」小林聖著

 

最近は一日のスケジュールに必ず1時間ないしそれ以上の時間を費やしている詩吟ですが、なにゆえ、こんなに熱心にやっているのか、そう思った時思い当たることがあります。

 

それは、詩吟には「私の好きな要素がいくつも入っている」ということでした。

 

私は過去に趣味で「気功」「朗読」「書道」などをやりましたが、朗読や書道などで触れることの多かった詩歌、詩人・書家、それにまつわる歴史など、それらのものが詩吟には深く関係し随所に織込められているのでした。

 

また「気功」は生命力の元となる「気」を練るための呼吸法ですが、詩吟にはこの気功に通じる「気」とういうものが目に見えない形で関わっていると思います。

 

詩吟を始めたころ感じたのは、詩吟とは非常にエネルギーのいるものであるということでした。

 

基本はお腹から声を出す腹式呼吸ですが、慣れないせいか教室が終わるころにはどっと疲れが出ます。

 

これを続けていくには、まず声をしっかり鍛えるのが基本だと思われます。

 

ボクシングでいえば、サウンドバックをひたすらたたくく、相撲では四股、てっぽう、野球に於いての打者では、素振りの訓練を怠らないなどということでしょうか。

 

朗読でも最初に発声練習をしてからやったように、詩吟でもまずは数分間の発声練習をしてから詠うことが大事なようです。

 

「発声練習を繰り返していけば次第に声が出るようになりますよ」と先生が言っていましたが、確かに最近声が以前よりは強く出るようになったのを感じます。

 

地味な発声練習は必須ですが、時には訓練から離れて自分の好きな人の吟を聞き、体で吸収し感覚を練るのも一つの勉強法かと思います。

 

いま、私のお気に入りは「早淵良宗」という剣舞もやる吟剣詩舞家。

 

最初のブログでも少し書きましたが、ユーチューブでいいろいろな詩吟を聞いた限り、この人ほど惚れ惚れする魅力的な詩吟はない、あくまでも主観ですが・・・。

 

教室で親しくなった生徒さんに「早淵良宗の詩吟、一度聴いてみて」と言ったところ、一週間後に教室で会うと開口一番、興奮気味に言いました。

 

「早淵良宗の詩吟素晴らしい!心が洗われるようだわ!!」

 

「そうでしょう!!」と私も嬉しくなりました。

 

濁りのない伸びやかな歌声、それでいて重みと威厳を感じさせる気品と美のオーラにいつの間にか魂を奪われる。

早淵良宗とは、そんな言葉を並べてもまだ足りないくらいの「天の声」かと思うほどの吟なのです。

 

ご興味のある方は一度聞いてみて下さい。

 

詩吟という枠を超えた歌声は、きっと何等かの感動を与えてくれるのではないかと思います。

 

この方のことは、もう少し情報を集めてからまた詳しいことを書きたいと思っています。

 

そんな訳で、今日は詩吟について少しわかったことや感じたことを書いてみました。

 

『これからも少しずつ詩吟という未知の世界を散策しながら、感じたこと気づいたことを記していきたいと思います』

出典:photoAC

最後に、私が初めて独吟で詠うレッスン曲の「富士山」石川丈山作の漢詩と内容をご紹介したいと思います。。

 

雄大、荘厳な日本一の富士山の美景を讃えて詠った人気の詩吟

 

「富士山 石川丈山

仙客来遊 雲外頂  

せんかくきたりあそぶ うんがいのいただき

 

神竜栖老 道中淵 

しんりょうすみおゆ どうちゅうのふち

 

雪如がん素 煙如柄

ゆきはがんそのごとく けむりはえのごとし

 

白扇倒懸 東海天

はくせんさかしまにかかる とうかいのてん

注(がん素のがんは、糸に丸とかく)

 

「仙人が来て遊ぶといわれる神聖な富士山の頂きは、雲を突き抜けて高くそびえている。

山頂にある洞窟の中の淵には、神竜が年久く栖(す)んでいると伝えられている。

山頂あたりは純白の雪に覆われ、ちょうど白絹を張ったようで、立ち昇る煙はその扇の柄のように見える。

まるで東海の大空に白扇(はくせん)が逆さまにかかっているようだ」

 

作者の石川丈山は、江戸初期の徳川家藩主。

愛知県碧海郡の生まれ。

「人柄は勇猛だが「読書」「書道」「茶道」「造園」などの風流を好んだ。

大坂夏の陣で殊勲を立てようと一人出陣し、敵将二名を斬ったが、出陣禁止命令に背いた罪で謹慎させられる。

それを契機に武士道を捨て全国を漫遊。(30歳のころ)

その間、諸大名から出仕のの要請があったが固辞し続けた。

晩年の住居は「詩仙堂」と名づけられ今も京都に保存されている。

生涯妻をめとらず享年90歳で世を去った。

 

作者の生涯を辿ってみると、富士山という詩の雄大さにも似て、並外れた波乱万丈の人生であったのではないか、そんな想像をかきたてられます。

生涯妻をめとらず、という所にも何か感じるものがある・・・。

 

そんな訳で今回は、詩吟とはなにか?その歴史についてなどをざっくりとですが書いてみました。