雨続きのあとにやってきた爽やかな晴天。
大気はしっとりと柔らかく、街を歩けば草木は芽吹き巷には花が咲く。
万物に清新の気がみなぎる、といわれる清明の時節はもうすぐですね。
《清明とは》:清浄明潔を略したもので、草木の花が咲き始める春先の清らかで生き生きとした様子のこと。
二十四節気の一つ。春分から十五日目、陽暦四月五日ごろといわれている。
この何日、雨続きで閉じこもりがちだった反動で、さっそく外へ出てあちこち回ってみました。
まずは近くの公園から。
新緑が芽吹く樹木
新芽の赤色が美しいべ二カナメモチ
青空とモクレン
ふと立ち止まる中庭のある家
やがて川に沿って土手の方へ。
農業公園の入り口で一休み
草むらに小花、名前は?
小さな花がブドウの房のように集まって咲く紫の花ムスカリ
土手を下りて水たまりを歩く
雲もまたいいね!
花壇の花々たち
開花宣言!
もうすぐ清明のころ(四月五日)、を前に軽く自転車を走らせて帰ってきました。
樹木や花々や大気の息吹を身体に感じながら、爽やかなサイクリングでした。
趣味の詩吟で知ったのですが、杜牧(とぼく)という詩人の《清明》という漢詩があります。
中国ではその頃は、清明節といって日本のお彼岸にあたり、春節と並んで盛大に祝う伝統的な行事の一つとのことです。
その時には、お墓参りをしたり、山野に出て青々とした草を踏み遊んだりして(踏青)皆で楽しむそうです。
清明 杜牧(とぼく)
清明の時節 雨紛紛(ふんぷん)
路上の行人(こうじん)魂(こん)を断たんと欲す
借問(しゃもん)す酒家(しゅか)何(いず)れの処にか有る
牧童(ぼくどう)遙かに指さす杏花の村
《通釈》
清明の時節というのに、雨がしとしと降って路(みち)行く旅人にとっては、すっかり元気がなくなってしまいそう。
どこかに酒を飲ませる店はないでしょうか、と尋ねてみると、牧童は遙か向こうを指さして、杏(あんず)の花咲く村を教えてくれたのであった。
この清明という詩を詩吟教室で最初に学び、初めての大会でも歌ったので思い出深い曲でもあります。
そして私のブログのID(杏花の村)もここに由来しています。
杏(あんず)は奈良時代日本に渡来し、中国の桃、唐桃(からもも)とも呼ばれているそうです。
そうか、桃なんですね。
ということは杏花の村というのは、もしや桃源郷?もしくはそこへ繋がる途上の場所ではないのか・・・?
心のどこかで桃源郷の存在を信じたい私は、勝手な想像をしてときめいています。
また巡ってきた爽やかな季節、大切に過ごしたいですね。