ブログ百科ララ♫

幸せな人生を送るために書くブログ集

早春の午後、友人宅を訪れる♫ (前編)

このところ暖かな日が続いていますが、まだ2月。

いつ肌寒さが戻るか、油断はできません。

 

と、思っていたところ、案の定、急に天候が崩れて小雨続きの毎日。

 

書き進めていたブログのタイトルに似合わない空模様になってしまいました。

 

でもせっかくなのでそのまま続行!

 

 

先日、友人宅を訪れた日は春が来たようなポカポカ陽気でした。

 

前の日に作り置きしたぶり大根、そして当日、朝食後に作ったいなり寿司、卵焼き、明太子(おにぎり用)などを持って正午少し前に家を出ました。

 

付き合いの長いÅ子と会うのは何カ月ぶりです。

自転車で行けばさほど遠くないのに、私の体の不具合などもあってしばらく遠のいていたのでした。

 

やがてマンションのエレベーターを降り、A子の部屋の前まで行くといい匂いがしてきます。

料理上手な彼女は「煮物とサラダを作っておくからね」と言っていました。

 

チャイムを鳴らすと「はーい!」と声がしてドアが開き、エプロン姿のA子がにっこり。

 

「こんにちは!」

 

私は微笑み返しながら、つくづく思った。(彼女ってどうしてこんなに満面の笑みを浮かべられるのかしら?)

 

A子は私が以前勤めていた会社の同僚で、一時期、様々な苦楽を共にしてきた人でした。

普段もですが、会社の催し事などでスナップ写真を撮る時も、しっかりと口角を上げて笑顔で写っています。

 

反対に私は、写真を撮る時に笑うのは苦手。

自然体なら「あははは!」と高笑いするけど、写真の時はちょっぴり唇が動くだけ。

 

とにかく、彼女と私はいろいろ異なる点がありながらも、何でも話し合える仲だ。

 

二人の共通項を上げれば、離婚歴がありずっと独身のまま。

そしてお酒が好き、おしゃれや楽しいことが好き。

そんなことから親しくなって、私が会社を辞めた後も延々つきあっている。

 

 

お互いの手作り料理がテーブルに並んだところで、小宴会が始まりました。

 

「あなた、ぶり大根なんか作ってきたのね。いなり寿司も、すごい!」とA子。

「あなたのサラダも煮物も美味しいそう。相変わらずやるわね!」

 

お互い褒めあって「米自慢」という焼酎のお湯割りを口に運ぶ。

今も会社に勤めているA子は、晩酌を欠かさないというが、

胃弱であまり飲まなくなった私は、帰りのこともあるので淡い芳香を味わいながらゆっくりと飲む。

 

積もる話は沢山あって、あっち飛びこっち飛びして、結局は前の会社の話になった。

 

「あの人どうしてる? Yさん・・・」私の問いに、

「そうね、ちょっと瘦せたわね。健診で引っかかって少しは気にしてるんじゃない、身体のこと。でも性格は、相変わらずよ」

 

「へーえ、そうなんだ。やっぱりね・・・」

 

大柄で丸々とした豊満なYを思い浮かべながら私は頷く。

 

そして、A子がトイレに立ったところで過去のことを思い返した。

 

     ◇

 

私が入社した時、先輩格のYはまもなく「Ⅿちゃん、Ⅿちゃん」と私に話しかけてくることが多くなった。

だが、彼女の評判はすこぶる悪く(恥知らず、横暴、嘘つき、目的のためには手段を選ばない)など、ひどいものだった。

 

しかし私は彼女から特に被害を受けた経験もないから、敵視する理由もなく、

しばらくは流れのままに付き合っていたが・・・。

 

入社して3年目に入った頃、あることが起こった。

 

私が離婚後、シングルマザーとなって勤めたのは、企業の経営者や従業員を対象とする保険会社の営業職だった。

 

20代の前半から結婚するまで、音楽畑で仕事してきた私にとっては初めての会社勤め。

まして営業の仕事など、全く考えたこともない世界だった。

 

だが入ってみると、好奇心の強い私には新鮮で面白い場所だった。

ノルマには追われるが、契約次第で給料が決まり、大口を射止めれば、普通の事務職では考えられない報酬が得られる。シビアだがやり甲斐のある仕事だともいえる。

 

また、法人が対象なので、他の個人向けの保険会社のように夜間にかかることはほぼない。

課長や上司の同行がたまにはあるが、一日のスケジュールも、何処へ行くのも決めるのは自分。

私の性分に合っていた。

 

離婚後、何かと援助してくれる母がいたが、まだ小さい息子と自分のために、私はここでしっかり生活基盤を築いていかなければならなかった。

 

ある日曜日、私は資料作りのために会社に行った。

転勤してきて間もない若い課長とYさんがいた。

 

彼女が休日に出てくるのはいつものことだった。

負けず嫌いで貪欲な彼女は、晴れた日には、このビルの遥か彼方に見える日本一の富士山のように、自分がこの業界でいつか頂点に立つことを目指していた。

 

「あらⅯちゃん、ご出勤!」

 

私ににっこり笑いかけたあと、彼女は再びパソコンに向かう。

 

趣味で合気道をやっているという課長に、ときおり話しかけながら。

 

それからしばらく経った頃だった。

ふと顔を上げると課長の姿がなかった。

と、携帯が小さく鳴った。

 

「もしもし、Ⅿさん、すぐ下りてきてください!S社の件、Yさんに知られてしまいましたよ。1階の正面玄関にいますから急いで!」

 

課長の緊迫した声。

Yに視線を向けると、支社長が普段使っている机の前で、何か書類を手にじっと眺めている。

 

私は素早く机のものを片付け、フロアの外へ出た。

 

1階の正面玄関に課長が立っていた。

 

「大変なことになりましたね。あのYさん何をするかわかりませんよ」

「でも、知られてしまったら、仕方ないわ・・・」

 

私は蒼ざめた課長に言った。

 

「Ⅿさん達観しているんですね。でも、この件で彼女はきっとⅯさんをいじめにかかってきますよ。僕、それが心配なんですよ・・・」

 

それは私も分かっていた。

彼女はもちろん激怒するだろう。

でも、今更どうすることも出来ない・・・。

私は考えに考えた上で今回のことをやったのだから。

 

今回のこととは

私は少し前に、S社という既契約先から新しい契約をもらっていた。

今は退職した職員から「よかったら行ってみて」と渡されたリストを廻っているうち手にした契約だった。

 

対応した社長の奥さんは、提案した新商品を気に入ってくれ、すぐに話はまとまったが、古いものを解約したいと彼女は言った。

 

確かに小さな会社だし、退職金準備を兼ねた新規の契約5000万があれば、奥さんの希望通り古い契約は見直してもいいかもしれない。

 

だが、奥さんの話を聞いているうちに、私は考え込んだ。

その古い掛け捨ての契約1000万は、私にリストをくれた退職者の扱いだったが、その際、あのYさんが一緒に来ていたというのだ。

 

そして、彼女は担当者が退職した後も何度か訪れ提案してきたが、断ったという。

 

「ああいう、ちょっと強引な方はなんだか苦手ですね・・・」

 

人の良さそうな奥さんは言った。

 

古い契約の書類上にYの名前は出ていないが、彼女が何らかの意味で間接的に関わっている可能性はある。

 

Yは新人に力を貸すという名目で同行し、契約が決まればその一部、もしくは半分もらうという話を聞いた。

 

入社して3年目にもなれば、彼女の悪行の数々がわかってきた。

 

私の同期の一人は、自分の税理士を盗ったと散々苛めぬかれ1年で辞めていった。

 

Yにかかると少しでも自分が訪問した顧客や税理士は、自分のものらしい。

そこに新人がからみ、契約を上げようものなら彼女のプライドが許さない。

 

だが、他人が苦労して契約に漕ぎ着けたものを横取りするのは朝飯前なのだ。

 

私が定期的に通っていた会社で、そろそろ契約の話が出始めた頃、Yは「あの人はもう別な地区の担当になりましたよ」と偽情報を流し、私には「しばらくあそこへは行かないで。悪いようにはしないから」と訳の分からないことを言った。

そして「この世界持ちつ持たれつよ!」と言ったが、なんじゃそりゃ!?

 

そんな彼女にどう対処するか?

今回の件すべて話すか?

黙って自分の思うように進めるか?

 

私は、奥さんを前にして逡巡した結果、独断で進めることにした。

 

契約が済んだあと、課長には書類をできるだけ早急に処理してほしいと伝えた。

課長にはその理由が暗に伝わったが、支社長の机の上に無造作に置かれていた書類を

Yは見つけてしまったのだ。

 

今回に限らず、仕事上のいろんな情報をいち早く知ることにも彼女はたけていた。

 

私と課長は、足早にビルを出ると、駅近くのカフェレストランに入った。

席について間もなく課長の携帯が鳴った。

Yからだ。

課長と私はじっと息を殺して、切れてはかかってくる携帯音を聞いていた。

 

「Ⅿさん、ワインでも飲みますか?」

「ええ・・・」

 

私は少し笑ってうなずいた。

 

「課長、友達に突然会ったことにしたら・・・」

「そんな、だめですよ。こっちに友達なんていませんから・・・」

 

そうだ、課長はまだ転勤してきたばかりだったな・・・。

 

そのあいだ、止むことはなく携帯は鳴り続ける。

 

私と課長は為すすべもなく、運ばれてきたワインを口に運んでいた。

 

まだ知らずにいたが、私が足を踏み入れた世界は並の場所ではなかったのだ。

                             (後編に続く)

 

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【対岸の向こうへ春を見に行く♫】

先日の大雪から一転、ここ何日、暖かな日が続きます。

 

そうなると私の悪い癖で、じっとしていられない気分になります。

 

このところ足腰のことや冬の寒さもあって、出かけるのは主に、日々の食材の買い出しや病院通いです。

 

楽しみにしていた詩吟友達との食事は彼女の身内に不幸があって、会うのは先伸ばしになっています。

また時々リフレッシュのために行くスパもつい最近行ったばかりだし。

 

「何か楽しいこと見つけなくちゃ・・・」

 

3回目のリハビリも順調に終えて帰ってきた日、そんなことを思いながらテレビを見ていると、『ビヨンド・ユートピア脱北』という映画の情報が目に入りました。

 

内容は北朝鮮からの脱北に関しての話で、「楽園」と信じた場所(北朝鮮)を離れ、子供2人と80代の老婆を含む5人の家族が紆余曲折を経て(韓国)に辿りつき、自由を手にするまでの奇跡のドキュメンタリーとあります。

 

以前、私はある脱北者の手記を読んで地上の楽園の真の姿に驚愕した覚えがあります。

 

あれから、どれだけの年月が経ったことか?

 

日本にとっての拉致問題も、北朝鮮の人々の生活も良い方に向かうどころか、ますます悪化し他国との関係も危険度が加速しつつあるように思います。

 

映画は数々あれど、こんな映画はめったに見られません。

地元でやっていれば迷わず観に行きますが、残念ながらやっていない。

この時点で近いところでは、池袋と銀座があとわずかの日程で上映中。

 

なんとか行こう、いや、今の私には無理・・・・・・

自分の中で逡巡した結果、私が行ったのは豆満江ならぬ、家から自転車で10数分も行けば着く対岸の向こうでした。

 

悲しいかな、今の私の身体状況では遠出は難しい。

今回の映画は、またの機会をみてということにしよう。

 

それに、この陽気であそこも少しは春めいているかもしれない。

そんな風に気持ちを切りかえて向かったのでした。

 

すると対岸に渡って少し行った桜並木に、ほんのちょっぴりピンクの桜が花開いています!

 

 

菜の花もうっすら黄色に色づいています。

 

 

 

そして園内に入ると古民家が。

数年前、これを初めて目にした時「桃源郷」を思い浮かべました。

 

 

次に梅林の方へ下りていきます。

 

 

大寒の頃より、さらに梅の花は色鮮やかに。

 

 

こうして梅林を歩いていると、不思議なことに足の痛みをあまり感じません。

自然にはやはり大いなる力があるのでしょうか?

清々しい気持ちで園内を出ました。

 

早春の日を浴びる川面をいっとき眺めてから帰路につきました。

 

人の世の幸も不幸も知らぬ気に、川は流れ季節は移ろうのだな・・・と思いながら。

 

【2月に入って、雪が降る・・・】

2月に入って、冬もど真ん中。

 

今日はお昼ごろから、雨または雪が降るとの予報。

 

もし雪になった時は、ある程度の積雪になるとのことです。

 

窓を開けてみると、外は冷え切った曇り空。

 

確かに、この水分を含んだ大気の感じ、いつもとどこか違う・・・・・・

 

私は微かな期待をもって鈍色の天を見上げた。

 

 

やっぱり冬は雪がちらついてほしい、花びらのような白い雪。

 

ただ、雪は少し降るのは風情があっても、際限なく降るのは困ります。

 

幼少時、山陰のチラチラ降る小雪を眺めて育った私だったが、後に寒さ厳しい北の大地の両親の元に移り、白銀に埋もれた生活を余儀なくされた。

 

そこでの猛吹雪や、ホワイトアウトの怖さも知っている。

 

雪に限らず、自然はいいときはいいけれど、本当に牙をむいたときは恐ろしい。

 

吹雪の夜、どこぞのおじさんが雪倒れで亡くなった、という話も子供のころ聞いた。

 

だからやっぱり、雪もほどほどにーーー

 

そんなことを思いながらテレビの画面に目をやると、能登の瓦礫跡が映り、次いで仮設住宅が完成したとの話が流れる。

仮設住宅は、2DKと4LDKが合わせて10数戸で、沢山の希望者のうち加入出来た人は、ほんの一部だという。

 

冷暖房のエアコン、トイレ、キッチンなど設備の整った、新しい家に入ることができた初老の男性は「きれいで立派なところに入ることが出来て感激しました」と語っていた。

 

一方、知人と肩寄せ合って車中泊をしたりして、なんとか急場を凌いできた方たちも、この地を離れていく人、ここに残る人と別れが来たようです。

 

水道も電気も復興が何時になるかわからないとあって、他の地へ移っていく方、そのまま残る方も、どちらにしても様々な葛藤があるようです。

 

 

その中で、とても印象に残ったある女性がいらっしゃいました。

 

この能登の地、穴水町で長年カキの養殖を営んできた方です。

 

養殖場は、先の大地震でやられ、そこへ行く桟橋も壊れているのですが、

彼女は毅然と語ります。

 

「ここを離れず、何時かはきっとまた再開できると信じてやっていきます。

焦らず、気長にやっていきます」

 

頭から大判のスカーフをかぶり、少女のように赤いほっぺたをして力強く言い切る彼女に感動・・・・・・

 

彼女よりずっと若そうな町長さんも来ていましたが、彼もこの女性の言葉に多いに鼓舞されているかのように見えました。

 

「焦らずに、焦らずにね・・・」と女性に励まされながら、手を握り合っていました。

 

 

強い女性だな・・・お歳は幾つくらいなのだろう?と思わず考えましたが、82歳でした。

 

この凛とした信念が伝わってくるような物言い、この方のこれまでの生き方がしっかりしたものだったのに違いないと感じました。

 

ただそうはいっても、もう若くはありません。

足腰は大丈夫なのだろうか?と見ていると、歩き方は少し辛そうです。

 

ご家族は?一人で生活しているのだろうか?

そんなことが過ぎりますが、でも、この方の精神力、魂の強さには打たれました。

 

こういう潔い心意気、見習いたいと思います。

 

 

その後、雑用をあれこれ足し、ときおり外を見るがまだ空はしんとして動かず。

 

ところが、12時を少しすぎたころ窓を開けてみるとーーー

 

雪です、雪が降っている。

 

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やっぱり降ったんだ・・・・・・雪。

 

しばらく、雪の降り落ちる白い天空を見上げました。

 

(その後の情報では、かなりの積雪になるようです)

 

【前回のリハビリ初日から~今日までのこと】

前回のブログでは、新しくスタートしたリハビリの模様を書きました。

 

それから今日までのことですが、時間のたつのは早いものですね。

 

 

楽しみにしていた大相撲初場所は千秋楽を終え、応援していた『若隆景』が幕下優勝!

 

そして、期待していた琴ノ若は、照ノ富士に阻まれ優勝は逃したものの大関に昇進。

 

その他、気になる熱海富士。

 

いろいろ研究されて、最初のころのようにはいかなくなったけれど、楽しい人ですね。

彼は立ち合いが迫った時、必ず後ろを振りかえって誰かに向かって(よし、やるからね!)というように頷いて合図を送っているんです。

この愛嬌が魅力ですね!

 

それから相撲と並んで外せないのは野球ですが、3月に韓国で行われるドジャースパドレスのチケット情報などが飛び交っています。

 

また大谷を中心としたメジャーリーグが、今年はどう展開していくのか楽しみです。

 

それから、パリオリンピック出場に向けて、卓球でも熾烈な戦いが展開されていますね。

あの不動かと思われた伊藤美誠に代わって今回は、平野美宇が代表に躍り出た! 厳しい世界ですね。

 

今、女子で頂点にいる早田ひな選手が素晴らしいのは無論ですが、美誠も美宇もすごい選手だし、そのすぐ後ろには15歳の張本美和が控えている。

 

「美」という名の付く女性が卓球界には多いのですね。

 

 

自分の現実が思うように回っていかなくても、これらのスポーツで慰められたり、元気が出た、という声を耳にしますが、私の場合はまさしくそうです。

まして、車椅子でさっそうとテニスをしている選手を観るに至っては、自分の体のことをどうこう言ってはいられなくなります。

 

今は去年の春以降から患っている足腰を、少しずつでも良い方向にもっていくよう努力するしかありません。

 

そんなわけで前回のリハビリ初日から1週間後、私は2回目のリハビリを受けてきました。

 

担当のトレーナーさんとは、できるだけコミュニケーションを取るようにしています。

 

私の体の状況をできるだけ把握してもらい、修正すべきところはどういう点か?どうすればよい方向に向かっていくことができるか?

その辺をポイントに置きながら。

 

それで今回分かったことは、今まで良いと思ってやっていたストレッチが、かえって痛みを増す結果になっていたかもしれなかったり・・・また、あまり頑張りすぎてもよくないし、無理せず気長にやるのがいいのかもしれない、などと思ったりでした。

 

とりあえずは、このトレーナさんを信頼してついていこうという気持ちです。

 

 

そうこうしているうちに1月は去り、もう2月です。

 

今日は足の具合を確かめに、公園の方へ歩きで行ってみました。

 

自転車は楽だけど、自分の足で歩くのはまた格別です。

 

反り腰だといわれていますが、まだどう歩けばいいのか要領がつかめない。

 

私が勝手に名付けた詩吟公園で一休み、詩吟を少し歌う。

 

 

 

『寒空の下に雄々しく立っている樹木、じっと耐えて春を待っている』

 

公園を出て再び道路を歩くうち、少しずつ右足の付け根が痛みだしてくるが、マーケットまではあと数分はある。

 

また信号が青のうちに渡り切れるか? 気持ち急ぎめに横断歩道をわたります。

 

やがてマーケットが見えて、ほっと一息。

徒歩で来たので、買い物は少なめに。

 

果物売り場で「ポンカン」を見つける。

和歌山県産とあります。

 

少し前どなたかがブログで、和歌山からポンカンを取り寄せたこと、和歌山のポンカンはとても美味しいということを書いていたのを思い出します。

 

ミカンは好きだからよく買いますが、傷みが早いし、と思わずポンカンを購入する。

でも、値段が398円とは安すぎでは?

それに産地直送とはちがうし・・・

不安に思いながらも、物は試しとレジで会計を済ませる。

 

 

帰ってテーブルに載せてみたところでは案外りっぱ!

それに色がきれいです。

 

食後、デザートに食べてみると、瑞々しさが少し足りないように感じたけれど、甘く優しい味でした。

 

まっ、いいか!

ごちそうさまでした。

 

 

 

【リハビリ初日//トレーニングルームの光景】

先日、予約を取った整形にリハビリに行ってきました。

 

少し早めに行ったので、受付を終えた後しばらく椅子に腰かけて、広いトレーニングルームを眺めていました。

 

ゆったりと間隔をあけて幾つもベッド(マット)が並んでおり、なお且つスぺ―スのある空間は、ちょっとした体育館のような感じです。

 

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そういえばここの整形は、以前からプロのスポーツ選手も来ることで名が知れているのを思い出しました。

また何年か前ですが、私は自転車で転び右手首を粉砕骨折した時には、ここに上手な先生がいるからということで通い、すっかり元に戻ったことがあります。

 

古かった建物は新しく生まれ変わり、そんなことも今では忘れていました。

 

午後の部は始まったばかりなのか、理学療法士(トレーナー)が一人、若い男性の患者さんについてリハビリの最中です。

 

足の訓練のようで、その女性トレーナーは「上げて!下げて!上げて!下げて!」と大きな掛け声をかけ続けています。

背は中くらいですが、彼女の後姿がガッシリしているのと声が強い軍隊調なので怖い感じがします。

 

やがて今度は男性のトレーナーが、今来たばかりの若い女性のリハビリを始めました。

ベッドに横たわった女性は、ショートパンツに生足をむき出しです。

(この軽快なスタイルには何かリハビリ上の意味があるのだろうか?)

私はそんなことを思いながら眺めていました。

 

ちなみにその日の私は、屈伸しやすいトレーニングパンツをはいてきました。

 

そのうちトレーナーが次々と姿を現し、患者も代わるがわる受付を済ませ対になってリハビリを始めます。

 

その中で一向に名前を呼ばれない新参者の私は、一人取り残されたような気分で彼らを眺めるばかり。

 

私はもう10分以上は待っているのに・・・後から来た人が次々と呼ばれていきます。

でも予約の3時までにはあと数分あるし、といい聞かせます。

 

それにただ眺めているだけで、ここのリハビリ室は面白いのです。

 

これまで通った整形では、男女ともにどことなく似た体形のスタッフが多かったのに比べ、ここでは細身で物腰の柔らかそうな男性トレーナーがいるかと思えば、長身でガシッとした格闘家のような男性トレーナーがいます。

 

そして思わずその姿を目で追わずにいられなかったのは、身長180くらいはありそうな、胸も腰もしっかり張り出した凄い体格の女性トレーナーが現れたことです。

 

(うわー、すごい!この人が私の担当者だったらどうしょう?)

私は目を瞠って彼女を見つめました。

私も身長はある方だけど、この方の堂々たる体格には遠く及ばない。

 

私は、とにかく男性でも女性でも出来るだけ優しい人が担当者であってほしいな、と思うのです。この先ずっと付き合うのだし。

人間見かけだけで判断してはいけない、と思いながらも。

 

もう2年以上前になりますが、初めて足腰の具合が悪くなってリハビリを受けた時、私の担当になったのは、若い優し気な男性でした。

 

他のトレーナーのように世間話や無駄口はあまりせず、とてもきめ細かくやってくれ、おかげで3、4か月後には普通に歩けるようになっていました。

 

また何かあればその方にかかりたい、と思っていたけれど、他へ移るような感じがあったから、今どうしているか・・・・・・

 

そんなことを思いながら、このたくましい女性トレーナーの姿を追っていると、先ほど来た年配の男性をケアし始めました。

肩のあたりに何か機械を当てて、黙々と治療しています。

 

こうして午後の部が進行していく中で、私はまだ呼ばれず一人ポツンと腰かけていました。

 

すると3時を少し過ぎた時、小柄な女性が私に近づいてきて私の名前を呼びました。

 

私は、ほっとして立ち上がり、彼女の後からついていきました。

 

マスクをしているので確かなことは分かりませんが、30代くらいの目元が涼しいトレーナーさんです。

 

そしてトレーニングに入ってみると、かなり経験があるのか手慣れている感じがします。

 

こちらの足の状況をざっと聞いた後、歩き方をみたり、足のストレッチをやっていきますが、安心して任せられる感じがします。

 

歩き方や、片足立ちなどは、自分ではある程度出来ているつもりだったのが、どこか歪んでいたり、無理があったりを指摘される。

 

でも「体が柔らかいですね」と言われ、足の抵抗力を試しながら「力が強いですね」といわれる。

 

今まで通っていた整形と違って、機械だけでなく積極的に体を動かしてのリハビリなので、何か手ごたえのようなものが感じられる。

 

約40分のトレーニングを終えた時は、うっすら汗をかいていました。

 

そんなわけで待っている間の不安や心細さはどこへやら、最後はとっても充足感がありました。

 

これからも、この方が担当してくださるとのことで、良かった!

 

ちなみに、このトレーナーさんの下の名前は、「有」に「咲く」という字でしたが「アリサ」と読むのでしょうか?

 

レーニングルームを出て病院の外に出た時は、ジムに行ってひと汗かいたような爽快な気分でした。

 

 

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【大寒のころ梅林を歩く】

 

今日、近くにある総合病院の門をくぐりました。

 

 

去年、2か所の整形外科を経てから、1年足らずで3件目になる。

 

年末まで通った所は、投薬と電気治療の温存療法のみでどこまでよくなるか疑問だったし、近頃では寒さのせいか痛みが強くなってきた。

 

秋には紅葉を見に六義園まで行くことができたのに、今は外を数分歩くだけで右足全体に鋭い痛みが走る。

 

買い物やその他は、自転車があれば大体の用事は足せるが、自分の足で何とか歩けるようになりたい。

やっぱり理学療法士と対で、トレーニングするリハビリをもう一度やってみようか。

 

そう思ってやってきた総合病院は、予想どおり混んでいた。

 

ここは2、3時間位待つのは当たり前で、(特に整形)今まで避けてきたけれど、本を一冊「ブロンテ姉妹とその世界」という古めかしい書物を持参して順番を待った。

 

最初は「原田マハ」のものをと思ったが、この方のものは『楽園のカンバス』は面白く読んだが、「お日柄もよろしく」などはダメだった。

同じ人が書いたとは思えない都合の良い内容だった。

でも、人気度は「お日柄もーーー」がナンバーワンらしい・・・??

 

ある時期から小説はほとんど買わないし、読まなくなった。

読めばそれなりの面白さはあるかもしれないが、期待して読み始めても途中で止めてしまったりする。

 

今は本棚にあるのは、昔読んだ海外文学や詩集、捨て難いものばかりが残った。

 

私にとっては、青春時代に読んだエミリー・ブロンテの「嵐が丘」やシャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」、そしてドストエフスキーなどの濃厚な小説が忘れがたく、長い時がたった今ページを開いても新鮮だ。

 

イングランドはヨークシャ地方の牧師館で育ったブロンテ姉妹が、どのようにして文学に目覚めていったのか、などページをめくりながら読んでいるうち、いつの間にか自分の番号が掲示板に点いていた。

 

診察室をノックして入ると、若い男性の医師だった。

軽い問診の後、予め撮ったレントゲン写真を見ながら彼は言った。

 

「股関節の変形がありますから、手術するのがいいでしょうね」

やっぱり・・・私は予想していた診断に小さく頷いた。

 

「でも、2、3か月リハビリしてみますか?」

えっ?私は先生の言葉に顔を上げた。

 

「はいそうします。リハビリお願いします」

それは私の望むところだった。

 

「まあ、4月くらいまでやってみて良くならないようだったら、手術ということにしますか」

「はい、そうですね」

私は素直な生徒のように答えた。

 

内心、手術なんてまっぴらごめんだった。

手術した方が早い、という考えもあるけれど、まだ何とか自然治癒できないか、という思いが捨てきれない。

 

若い医師は、1か月後にまた来られるかどうかを訊ねたあと、帰りにリハビリの予約を取っていってください、と言った。

 

2階のリハビリ室に寄って予約を取ったあと、受付で会計を済ませて病院を出た時は正午をまわっていた。

来院してから3時間は経っていたが、私は気持ちが軽かった。

 

とりあえず、ここまでは自分が予定していた通りだった。

 

広いリハビリ室は、お昼の休憩に入っており理学療法士の人達の姿がちらほらあっただけで、先のことはわからないけれど、とりあえずはこれで準備は済んだのだった。

来週の火曜日、午後3時から最初のリハビリがスタートする。

     

     ◇

 

病院を出た私は、自宅で軽く昼食をとったあと自転車で農業公園へと向かった。

 

ここは気持ちが軽い時、反対に心が重い時に何とか持ち上げようと向かう場所だった。

 

今日はこの川の水面のように気持ちが落ち着いている。

 

 

冬の日が輝き、夕暮にはまだ間がある。

 

 

やがて土手の側の公園に到着、自転車を降りて園内に入る。

 

 

菜の花の向こうに竹林と古民家

人気のない園内を梅林の方へ向かう。

梅の花はまだかもしれないが)

 

 

ところがなんと、早くも梅の花が咲いていた!

 

 

白梅「月影」

 

紅いのは八重寒梅でしょうか?

 

 

 

モッコウバラ(出口)

 

足元に名の知れない可愛い花。

 

園内を出る。

 

短い日はそろそろ暮れようとして。

 

     ◇

 

昨日今日とかかってブログ書き終えました。

 

今日は1月20日大寒」。

お昼頃から雨になり、昨日と打って変わって寒い一日です。

 

あたたかい春が待ち遠しいです。

 

 

【思い出の一曲・黒い瞳のナタリー】

 

新しい年も松の内をすぎ、ここ関東では急に冷え込むようになりました。

 

私は病院に通い始めたり、いつもの品揃えに戻ったマーケットで食料品を買ったりして当たり前の日常を送っています。

 

でも冬枯れの季節のせいでしょうか?

 

葉っぱをすっかり落としたオブジェのような木々や、寒空を飛ぶ小鳥たちを眺めていると、何か物寂しい気持ちになります。

 

自転車で出かけた時は、たいてい練習がてら詩吟を歌っているのですが、近ごろ『黒い瞳のナタリー』をよく口ずさんでいます。

 

フリオイグレシアスが唄って大ヒットしたこの曲は、ロシアのジプシー歌謡を代表する『黒い瞳』をサビの部分に取り入れたものですが、初めて耳にした時から今も大好きな曲です。

 

フリオイグレシアスが自作の歌詞をつけて「ナタリー」と題する佳曲に生まれ変わりました。別れ別れになってしまったナタリーという女性を思ってうたわれる愛の歌。情感を込めて「ナタリー」と繰り返される呼びかけが胸を打ちます。

 

では、フリオイグレシアスの甘く、それでいて哀愁と苦悩に満ちた歌声を聞いてください。

 


www.youtube.com

 

 

原曲のロシア民謡黒い瞳

この意味はロマ(ジプシー)の煽情的な魅力の象徴として用いられており、その魅力に取りつかれた男性の苦悩と激情がこの歌の主題である。

また旋律は、ロマ(ジプシー)の音楽に特徴的なハンガリー音階に基づいており、ロシアのジプシー歌謡を代表する曲、となっています。

 

この旋律はジプシーに特徴的なハンガリー音階に基づいている、とあるのを見て、私は

ハンガリー舞曲を思い浮かべました。

 

広大な大草原の情景が目に浮かぶ、力強く爽快な旋律のハンガリー舞曲もまた大好きな曲です。

ハンガリー人は、世界をあちこちさすらった後、今の土地に定住したとあります。

 

私はフリオイグレシアスの歌声だけでなく、ジプシー音楽特有の旋律にも強くひかれていたのかな、と改めて思いました。

 

     ◇

 

私は昨日、思い立って、ある場所へ行ってきました。

 

大分前のことになりますが、私は今の場所から自転車で2、3十分離れた町に住んでいました。

 

引っ越したあとも、以前は時折ブラッと行っていましたが、最近はしばらく行っていませんから久しぶりです。

 

川にかかる橋を渡って夕方近く向かいました。

 

 

やがて公園が見えてきました。

この公園の側の、住宅地の一角に住んでいました。

 

 

 

右側の松の木がある家は以前のままです。

他の家は建て替えたり?見当たらなかったり、景色が変わっています。

 

ここに住んでいる時、白い迷い犬が家の裏に住み着き、毎晩悲しそうに泣いていました。

近くに住む主婦が言いました。

「この犬はどこかの家に飼われていたのよ。とっても上品ないい顔をしているわ」

 

私は飼いたかったけれど、子供もまだ小さいし・・・見かけるとエサをやったり、頭を撫でたりして可愛がっていました。

そして近所の奥さんが言うとおり、とてもきれいな犬だったので『ナタリー』という名前を付けました。

 

その後、近くの奥さんがナタリーを飼ってくれることになり、私と息子はいつでもナタリーに会いに行って遊ぶことができました。

そんな時、ナタリーは真白な毛を震わせるようにして身体中で喜びます。

 

でも、少し経ったある日、ナタリーはいなくなったのです。

奥さんによると、一寸鎖を外したすきに走ってどこかへ行ってしまい、それっきり帰ってこなかったといいます。

 

ナタリーのことは写真にも撮って、アルバムに収めてあります。

動物好きの夫も、まだうちの周りをナタリーがふらふらしていた時、よくナタリーと戯れていました。

 

彼は真面目で優しい人でしたが、10年しないうちに私たちは別れてしまいました。

 

自分でも思っていたけれど、やっぱり私は結婚は無理な人間だったんだと思います。

鳥で言えば、一つの巣の中にじっといることが出来なかったのかもしれません。

 

知らない森にも行ってみたいし、きれいな湖のほとりにも遊んでみたい。

家庭はいつか檻と化して・・・私の生気を奪っていきました。

 

 

思い出の場所を久しぶりに訪れた最後に、別れた夫が住んでいたアパートを見に行きました。

ところがなんと、あったはずの古い二階建ての木造屋は、大きな一戸建ての家に建て替えられていたのです。

 

夫は、10年と少し前に病気で亡くなりましたが、私はふっと思い立っては彼が住んでいた二階の角部屋を眺めて帰るのでしたが、今は跡形もなくなっているのでした。

 

彼の生前、部屋を訪れた時、窓からは畑と柿の木が見えていて、いい部屋だと思ったのを覚えています。

彼が亡くなった時、本当に申し訳ないと思いました。

もっと私がやさしかったら、もっと辛抱ができたなら・・・

 

家族で住んでいた一戸建ての家は、私たちが破綻したあと、何年も経たないうちに取り壊されて新しい家が建っていましたし、これですっかり何もなくなってしまったのでした。

 

 

私は自転車を走らせると、夕日が落ちて仄暗い道を帰路につきました。

 

川面が潤んだように光る中『黒い瞳のナタリー』を歌いながら。