ブログ百科ララ♫

幸せな人生を送るために書くブログ集

【新緑の中で・もしも足が治ったら】

私の住む地域では桜が散って、目に鮮やかな緑の季節となりました。

 

1月末から通いだした整形外科でのリハビリは、早2か月半が過ぎ、

近くの桜並木はピンクから緑のトンネルに様変わり。

 

 

 

 

振り返ってみれば、年明けからからいろいろあった令和6年の幕開けですが、

早くも三分の一近く過ぎたことになります。

 

焦っても仕方ないけれど、私のリハビリ期間はあと2か月と少し。

 

体の不具合や積雪で休んだ以外は週一で通い、担当のアリサさんについて、一歩でも二歩でも前へ進むようにと励んでいる日々です。

 

 

先日リハビリ科の医師の診察を受けた時、若いけれど落ち着いた感じの先生は言いました。

 

「これまでのお話を伺うと順調なようですね。この調子で続けて下さい。手術をせずに治る人もいますから」

 

この言葉は今の私にとって非常に力強いものです。

 

変形性股関節症が治る、治らないは数値で表せるものではないけれど、

先生のお話では、自分がこの辺で良いかなと体感する時が一つの目安になるようです。

 

リハビリルームには予約時間少し前に行って待っていますが、担当のアリサさんはなかなか現れない・・・でもそんな時、名いっぱいの速度で歩きながら入ってくる白衣の女性がいます。

 

「こんにちは。お待たせしました」

アリサさんの言葉に私は立ち上がります。

 

アリサさんは、入院患者のリハビリも受け持っているのでいつも忙しそうです。

 

その日はストレッチの合間に彼女が看ている患者さんのことを聞いてみました。

 

変形性股関節症の患者さん、手術してからどのぐらいで退院しますか?」

 

「2週間です。でも手術して少しするともう歩いていますよ。痛みはあるみたいだけど」

 

そうか、手術して2週間で退院か・・・。

 

私の場合、リハビリ期間は5カ月(基本)。

それに比べると速いな、と思ったが、退院してから3カ月くらいは

リハビリを受けるのだという話。

 

じゃあ時間的には、今の私とさほど変わらないことになる。

そこでアリサさんと、手術と保存療法はどっちがいいんだろう?

という話になった。

個々人の状況によって異なるので結論は出ませんが。

 

でも、今の私は手術しようという気にはなれない。

 

先日あった友人のA子は「手術して楽になったという人の話きくわよ」と手術を肯定するような口ぶりだった。

 

もしかすると、そのほうが手っ取り早いかもしれない。でも、私には抵抗感がある。

 

また詩吟友達のB子は、「知っている人が手術して成功したと言ってるけど、歩き方ががに股になっていたわ。できれば手術はしない方がいいと思うわ」と言った。

 

ちなみに彼女は保存療法で2年近くかけて普通に生活ができるまでになった。

 

選択はその人によって分かれると思うが、私はもう少しリハビリでどこまで矯正できるかやってみたいと思う。

 

そのためには、リハビリ以外の生活習慣も改めて見直していこう、そう思っていた時でした。

 

家の本棚に《ジョコビッチの生まれ変わる食事》という本を見つけました。

 

 

 

私が知っているのは、テニスでは大阪ナオミ、錦織選手などで、ジョコビッチ選手のことは名前と顔ぐらいしか知りませんでした。

 

今回知ったのは、彼の出身は旧ユーゴスラビア(現セルビア)。

4歳の時テニスと運命的な出会いを果たし、12歳でドイツにあるニキ・ビリッチアカデミーに留学。

その後、幼いころ志したテニスの道にまい進するが、幾度も挫折を味わいながら、艱難辛苦の果てに遂に世界王者につく。

 

この本を読み進めていくと余りにも多くのことが詰め込まれており、詳細は省きますが、食生活から始まって、一日の過ごし方、睡眠、心身のバランスを整えることなどで自分の志した人生を勝ち取るまでのことが物語を読むように綴られています。

 

この中で、今の私が取り入れてみようと思ったのは、食生活や生活習慣のほかにフォームローラーでした。

 

ジョコビッチ選手は仕事柄マッサージを欠かさず受けているようですが、このフォームローラーは自分で好きな時いつでもでき体の筋膜を整えてくれる、と紹介しています。

 

さっそくスポーツ店へ見に行くと、3000円から6000円、10000円以上とありますが、

アリサさんの話では、500円で100均に売っていて高いものとそう変わらないのではといいます。

ちなみに、後で気付いたのですが、リハビリ室にもこのフォームローラーが置いてありました。値段はまだ聞いていないけど。

 

 

そこで100均で買った(税込み550円)のが画像にあるグレーのフォームローラーです。

いろんな部位に当ててやってみたところ、中々いい感じです!

 

 

春先に憂鬱だった胃弱、動悸、不眠などがまだ解決したわけではないけれど、

戸外に出て新緑の中を行くと、知らずしらず心と体が癒されるのを感じるこの頃です。

 

もしも足が治ったら、去年は叶わなかったバラ園に行きたい、それから海に行って潮の匂いをかぎたい。

 

あれもしょう、これもしたいと一人ときめいている私です。

 

 

【街ゆけばどこを向いても花盛り】

4月に入っても雨が続いたり、肌寒かったりする日がある中、

その日は不意に空が晴れて上着がいらないくらいの暖かさ。

 

自転車を走らせ近くの公園に差し掛かった時、私はびっくりしました。

公園の中央にある桜の大木が満開だったのです。

 

 

つい先日通りかかった時は、ほんの数りん花が開いていただけで、

ほとんど蕾でまだまだと思っていたのですが。

 

私は自転車を降りて、天を突くかのような満開の桜を仰ぎました

そして思わず一句詠む。

 

いつのまに花は満るや天を突く

 

それから街を走ってみると、そちこちにボウッと煙ったような花盛りの桜が。

 

ではあそこは?と詩吟公園にきてみるとやはり満開です。

こちらもほんの数日前までは、じっと蕾のままで静かだったのです。

 

中にはずいぶん早々と咲いて、ブログにも上げた桜がありましたが、

それはすっかり花を落とし、今は艶やかな葉桜に変身しています。

 

 

何という自然の法則、生命力、私はしばし公園にたたずんでいました。

 

    

そしてまた一句。         

 

花見人なき公園の桜かな

 

 

それから次に向かったのは、選挙時に投票に行く小学校の裏手にある古い家。

この中庭の桜がまたすごい巨木でどんなことになっているのか?

 

一台のタクシーが近くに車を止めて休憩中のようです。

 

そこで見たのは、こんな光景です。

 

 

 

 

大空に向かって堂々と咲き誇る桜、私は圧倒されてただ見上げるのみ。

 

遠い昔からここでずっと花を咲かせてきたような風格を感じます。

 

 

そろそろお昼に近いころ、マーケットか本屋さんに寄って帰ろうかと思った時、

私はふと思い立って、川向うを目指して走り出していました。

 

そうです。

ここまで桜が満開なら、あの(農業公園)の桜ももしや、と思ったのです。

そして勢いに任せていってみるとーーー

またびっくり!

 

公園に行く道は桜も満開なら、人人人。

(人通りをやり過ごして撮っています。以降、人は出来るだけ避けて撮っています)

 

 

 

何処を見ても、いつもとはまるで違う光景。

ここで初めて知ったのは、今日は❛❜春の花まつり❛❜ということでした。

 

もうすぐ和太鼓の演奏や手品のイベントが始まるという放送が流れています。

 

 

園内に入ると大勢の花見客がお弁当をひろげ、出店も出て大賑わい。

大変な時に来てしまった・・・

でもせっかくだから、と一人園内を回ってみる。

 

中でも可愛らしい花、これは花桃という名前がついています。

 

 

 

 

 

桜以外の花も負けずきれいに咲いています。

 

 

丁度お昼時なのでしょう。

駆け足で一回りして出てくると、公園に向かう人の群れはかなり途絶えていました。

 

思いがけないことに遭遇してどっと疲れが出てきました。

足もなんだか痛いようです。

 

私も早く帰ってお昼にしよう。

 

 

最後に水上を行く船を一枚撮ってさようなら♫

 

今日は思いがけない花巡りの日でした。

 

 

【清明・万物が蘇る芽吹きの時節】

雨続きのあとにやってきた爽やかな晴天。

 

大気はしっとりと柔らかく、街を歩けば草木は芽吹き巷には花が咲く。

 

 

万物に清新の気がみなぎる、といわれる清明の時節はもうすぐですね。

 

清明とは》:清浄明潔を略したもので、草木の花が咲き始める春先の清らかで生き生きとした様子のこと。

二十四節気の一つ。春分から十五日目、陽暦四月五日ごろといわれている。

 

出典:photoAC



この何日、雨続きで閉じこもりがちだった反動で、さっそく外へ出てあちこち回ってみました。

まずは近くの公園から。

 

                新緑が芽吹く樹木

 

 

             新芽の赤色が美しいべ二カナメモチ

 

                青空とモクレン

 

              ふと立ち止まる中庭のある家

 

やがて川に沿って土手の方へ。

             農業公園の入り口で一休み

 

            草むらに小花、名前は?

 

     小さな花がブドウの房のように集まって咲く紫の花ムスカリ

 

            土手を下りて水たまりを歩く         

   

               雲もまたいいね!

 

                花壇の花々たち

 

開花宣言

 

 

もうすぐ清明のころ(四月五日)、を前に軽く自転車を走らせて帰ってきました。

 

樹木や花々や大気の息吹を身体に感じながら、爽やかなサイクリングでした。

 

 

趣味の詩吟で知ったのですが、杜牧(とぼく)という詩人の《清明》という漢詩があります。

中国ではその頃は、清明節といって日本のお彼岸にあたり、春節と並んで盛大に祝う伝統的な行事の一つとのことです。

その時には、お墓参りをしたり、山野に出て青々とした草を踏み遊んだりして(踏青)皆で楽しむそうです。

 

清明   杜牧(とぼく)

清明の時節 雨紛紛(ふんぷん)

路上の行人(こうじん)魂(こん)を断たんと欲す

借問(しゃもん)す酒家(しゅか)何(いず)れの処にか有る

牧童(ぼくどう)遙かに指さす杏花の村

 

《通釈》

清明の時節というのに、雨がしとしと降って路(みち)行く旅人にとっては、すっかり元気がなくなってしまいそう。

どこかに酒を飲ませる店はないでしょうか、と尋ねてみると、牧童は遙か向こうを指さして、杏(あんず)の花咲く村を教えてくれたのであった。

 

この清明という詩を詩吟教室で最初に学び、初めての大会でも歌ったので思い出深い曲でもあります。

 

そして私のブログのID(杏花の村)もここに由来しています。

 

出典:photoAC

杏(あんず)は奈良時代日本に渡来し、中国の桃、唐桃(からもも)とも呼ばれているそうです。

そうか、桃なんですね。

ということは杏花の村というのは、もしや桃源郷?もしくはそこへ繋がる途上の場所ではないのか・・・?

心のどこかで桃源郷の存在を信じたい私は、勝手な想像をしてときめいています。

 

また巡ってきた爽やかな季節、大切に過ごしたいですね。

 

 

 

 

【ステンドグラスのある空間】

友人の部屋を訪れると、ときおり思います。

よく整った部屋だな・・・と。

 

居間にはソファー、和テーブルに小ぶりの箪笥。

キッチン、トイレ、そして座敷も一通りの物や家具が置かれている。

 

一方、私のところは、生活に必要な最低限度のもの以外、

家具などはほとんどなく、一つあった衣装ダンスは押し入れにしまいこんである。

 

部屋にあるのは大きめの本棚とパソコンに向かう時の机くらい。

 

また、居間には足の長いテーブルと小さめの本棚、

そしてテレビくらいで、あっさりしている。

 

独り暮らしを始めた20代前半の頃は、興味に任せてあれもこれもと

ベッドや鏡台、箪笥なども集めてみたが結局、

物が少ない部屋が自分には落ち着くということがわかった。

 

もしこの先、部屋数の多い家に住むことがあったら、

一つは何も置かない部屋にしたいと思う。

 

 

そんな私ですが、これはと思うものがあったら何とか手にしたい。

 

例えば、《ステンドグラス》が好きです。

 

古くは教会からはじまり、今では家具やアンティークの雑貨など

身近なものにも使われているステンドグラス。

 

ただ画像を眺めているだけで心が華やぎます。

 

ブログのトップページにも掲げてありますが、

ほかにどんなものがあるのでしょう?

検索してみるといろいろあります。

 

中で目についたものをいくつか並べてみました。

 

 

 

 

 

 

出典:photoACより

 

こうして見ただけでも様々な模様、線、色彩が施され目を奪われます。

 

 

ステンドグラスは、1500年以上前から作られているそうですが、

どうしてこうしたものが作られたのか、その由来などを少し調べてみました。

 

 

◆ステンドグラスとは

板ガラスに線描や着色を施して窯で焼き上げたもの。

色、形状、光の演出など、多彩な魅力を持った美術品。

 

ガラスの色とデザインによって空間の雰囲気を変え、

視覚的にも癒しの効果をもたらす。

 

また色は心理面に影響を及ぼし、青色はやすらぎを、

赤色はエネルギーを、黄色は明るさを現す。

 

◆ステンドグラスの由来

中世のヨーロッパで宗教を教えるために、

教会の窓にガラスを使って絵を描いたのが始まりとわれている。

 

その後、観賞用に皇帝や貴族の邸宅で利用されるようになり、

日本では明治以降、ガラス窓を飾る装飾として人気が高くなった。

 

19世紀末、フランスを中心にヨーロッパで、

アール・ヌーボー(新芸術の意)と呼ばれる花、樹木、蔦、女性

などをモチーフにした新様式が流行。

 

また、それに対抗するように「アールデコ」と呼ばれるシンメトリー

(左右対称のデザイン)や直線的な幾何学模様が、

ヨーロッパのみならずアメリカ(ニューヨーク)で流行する。

 

太陽の光が差し込むと、ガラスの模様が浮かび上がってキラキラ輝くその独特な美しさは広く愛されるようになり、現在では高窓や、家具の扉、ランプなど、一般住宅にも取り入れられるようになる。

 

 

 

 

出典 フオトACより



これらの画像を眺めていると、

ステンドグラスランプが部屋にあったらいいな・・・

その明かりのもとで読む本は、

ひと味違うのではないか?

そんなことを思います。

 

暖かくなって身体がもう少しよくなったら、

何処かステンドグラスの店に行ってみようかな、

などと考えています。

 

 

 

出典 フオトACより

【春風(しゅんぷう)の中に想うこと】

雨降って風吹き、そして春は来る。

 

3月も半ばに入り春はもう、まじかですね。

東京都心の開花宣言は3月21日だそうです。

 

なんとなくワクワクします。

これまで寒さで心身が抑えられていたのが、いちどきに解放されるような気持。

 

それにしてもこの時期、春風(しゆんぷう)が吹きすさびますね。

その中で私は、もう1年経ったんだな・・・と時の流れを想います。

 

去年の3月末、右足が不意に動かなくなってから整形をあちこちさすらった。

通っていた詩吟教室をやめ、友人達ともほとんど会わなくなる。

そして足が悪いのに、手まで怪我をして炎天下をしばらく病院通いしたこと。

 

そのまま信じるわけではないけれど、私の去年1年間は占いにあったとおり真冬、真夜中だったのかもしれない。

 

でも、それは去って行った。

春風(しゅんぷう)の中に新たな息吹を感じる今、私もまた生まれ変わっていくように思う。

 

 

◇リハビリ

 

今は最後にたどり着いた病院でリハビリを続けています。

担当者のアリサさんと、美味しいラーメン屋さんを紹介しあったりしながら。

 

とても小柄な人だけど、きびきびして元気いっぱいな人!

リボン体操か何かしていたのかな?と思って聞くと、サッカーをやっていたとのこと。

 

そしてPT(理学療法士)になったのは、少しでもスポーツの分野に関わっていたかったからと言った。

そういえば、ここのリハビリ科はスポーツ選手のケアも多いと聞く。

また、その他様々な病気で入院したり、手術した患者さんのリハビリもするというから大変だと思うが彼女はいつも明るい。

 

私のリハビリは、弱い部分の筋肉を強化するストレッチをしたり、マッサージを受けたりして訳40分で終わる。

 

次の予約を取って部屋を出る時は、全身がうっすら汗ばみ心地よい充足感がある。

 

 

先日リハビリの帰りに近くの桜並木を通ったところ、桜はほぼ満開に近い咲きっぷり。

その後、花屋さんの店先に勢ぞろいした可愛らしい花たちを眺めながら帰る。

 

               桜のトンネル

 

               春の小花たち   

 

 

◇詩吟と詩吟友達

 

身内に不幸があって、しばらく会えなかったB子と近いうちに会う約束をしました。

 

彼女とは詩吟教室で親しくなり、教室の帰りにはいつも喫茶店でコーヒーを飲みながらおしゃべりした人でした。

 

以前、私と同じ変形性股関節症を患って、2年ぐらいかけてやっと普通に生活できるようになったそうで、それもあってか私の足のことを親身になって心配してくれます。

 

彼女とは、短い期間だったけど毎週、詩吟教室で学び、一緒に昇段試験も受けたりと、楽しい思い出があるので話が弾みます。

 

共に仕事をし、苦楽を分け合った友人は格別だけど、趣味やお稽古事で机を並べ親しくなった人もいいものですね。

 

会うのは今年になって初めてなので楽しみです。

 

着ていくものはもう決まっています。

1年前にB子から教わったおしゃれな店で買った薄手のコート。

これは足を悪くしてから一度も着ずにクローゼットに眠ったまま・・・。

 

ワンピースとして作られたものだが、コートとしても着られるというものでデザインが気に入っている。

 

麻なので少しよれっとていますが、こんな感じです。

 

 

B子に会う3月20日は春分の日。でもその日はあいにく、寒の戻りがあり肌寒くなりそうなのです。

 

また出番がない時は、詩吟のステージ衣装として着ようかな、と思う。

早くそうした日がくるといいのですが。

 

 

ではこのブログの最後に、春の代表的な詩吟を一つ御紹介したいと思います。

 

                イメージ画像

 

胡隠君(こいんくん)を尋(たず)ぬ  高啓(こうけい)

 

    渡水又渡水

    看花還看花

    春風江上路

    不覚到君家

 

 

水(を渡り 復(ま)た水を渡り

花を看(み)還(ま)た花を看(み)る

春風(しゅんぷう) 江上(こうじょう)の路((みち)

覚(おぼ)えず 君(きみ)が家に至る

 

《通釈》

川を渡り、又川を渡り、いくつもの川を越えた。

そして次々と花を眺めなら、春風の吹く川沿いの路を歩いた。

そうしているうちに、いつのまにやら君の家にたどり着いてしまった。

 

 

高啓:明時代を代表する大詩人・夏目漱石がこの高啓の詩の愛読者だったという説がある。

この詩は、作者が友人の胡という姓の隠者を尋ねた時の詩。

(隠者とは俗世を避けて故郷や山里に隠れる知識人のこと。達観した高潔な人物として、世の人々から敬われる存在)

 

高啓は当時、明帝からの高官を拒んで故郷で隠遁者に近い生活を送っていたといわれる。

詩が作られた場所~蘇州、江南の美しい水郷の町。

イメージ画像

 

こんな風にしてはるばる行って、作者は友人には会えたのでしょうか?

いえ、隠者にはなかなか会えないというのが漢詩の世界にはあるようです。

 

いつ行くと約束したわけでもないので、友人は必ずいるとは限らない・・・ということのようです。

 

えっ!でもそれじゃあ、長い道のりをせっかく行ったのに?と思いませんか?

それに高啓はちゃんと約束を交わしていたかもしれません。

 

会えたか会えなかったか、その辺のことは分からずじまいですが、私の想像では実際には最終的に友人と会えて楽しくお酒を酌み交わしながら話に花が咲いた、と思いたいです。

 

詩のみで音声が載せられないのが残念ですが、ご興味のある方は『胡隠君を尋ぬ 漢詩』で検索→関西吟詩文化協会のホームぺージに入ってください。

 

漢詩紹介の下に音声があるので「▶」で再生できます。

 

春の日がゆったりと注ぐ川面と、匂うような花々の姿が目に浮かんでくるような透明感のある曲です。

 

また巡ってきた出発の春、気持ちも新たに過ごしてゆきたいと思います。

 

 

 

春先に起こる不安定な体調の原因は?

 昨日雨降り、今日は青空。

そして明日は、えっ、雨か雪・・・?!

 

皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

私はこのところ、春先の気まぐれな天候に手もなく翻弄されています。

 

イメージ画像

 

先日、リハビリに出かけようとしたのですが、胃がキリキリ痛みだしました。

予約してあるし何とか行こう、と思ったものの無理でした。

 

こんな身体で行っても・・・と、思い切って電話を掛けました。

 

担当のアリサさんには申し訳ないと思いながら、事情を言って先延ばししてもらいました。

アリサさんとは、かなり打ち解けて楽しくリハビリし、股関節に関しては明るい希望をもちはじめていたところでしたが・・・。

 

この胃の痛みの原因、そして最近特に続いている不眠、これは猫の目のように変わる気候のせいなのでしょうか?

それとも、つい余計なことを考えてしまう自分の性分が原因なのでしょうか?

えっ、年のせいもある? それを言っちゃあおしまいよ(笑)

 

私が思うに、様々な要因がからみあっているのかな、と思いますが。

 

先日、友人のA子のところへ行った時も、睡眠について二人で話しました。

ちなみに二人とも以前は薬に頼っていましたが今はやめています。

 

彼女は羨ましいことに、ちょっとした隙間をぬってうとうと仮眠できる人です。

まだ私が同じ会社にいたころ、会合の時など必ずうつらうつらしていて、私はトントンと彼女の肩をたたいたものでした。

今もその特技を生かして何とかやっていけてるといいます。

 

でも私は、彼女と違ってちゃんと布団に入ってからでないと眠れない。

そして眠れなかった夜は、少しでもと仮眠をとろうとするのですが、いつまで経っても眠りは訪れず・・・。

 

「私は物事を適当なところで割り切るけど、あなたは真面目、硬いのよ」とA子は言います。

もしそれが原因だとしても、性格を変えるのは難しいですね。

 

眠りがうまく取れないのは、人生の不幸にも大いにつながります。

 

物事をいくら前向きに考えどんなに行動的であっても、十分な睡眠がとれていなければ、途中でがくんとブレーキがかかってしまいます。

 

また今回の胃痛にしても、必要な時は医師から処方された薬を飲み、定期的に検査を受けるなどしてこれまでバランスをとってきました。

それなのに、この痛み・・・。

 

気候の変動もあるとはいえ、どうしたらいいのでしょう?

 

動悸=心臓病?

不眠=そういえばこのところ、血圧が高めだが・・・。

胃痛=今度こそ検査で何かあるかも、と連想が悪い方へと向かっていくばかり。

 

そんな時です。

私ははてなブログで、ある方の記事を読みました。

それによると、彼女は股関節と関節の痛みで病院通いを始めたそうです。

 

そこで彼女が医師から言われたのは「まずは自律神経を整えることが大事ですよ」ということでした。

「そんな風に言われたことは初めてでした」とブログにあります。

 

これを読んで、私は頭の中にパッと明かりが点ったような思いでした。

 

そうでした、『自律神経』でした。

 

自律神経が乱れると身体のあちこちに不具合が起きる!

そのことを思い出しました。

 

今の自分の症状はそれかもしれない。

 

さっそくパソコンに向かって自律神経に関して検索しました。

 

まず自律神経とは:私たちの身体や心の状態を調整する、重要な神経のこと。

 

次に、自立神経失調症の症状を見てみると、やはり私が抱えているものがいくつかあります。

(胃痛、不眠、動悸、肩こりなど。)

 

その他、頭痛、めまい、たちくらみ、便秘、下痢、腹痛、胸苦しさ、手足のしびれ、

腰痛、疲労感、倦怠感、喉や口の不快感など。

 

では自律神経を整えるにはどうすればよいのか?

 

自律神経を整えるセルフケア》

*朝、朝食をとり、朝日を浴びて体内時計をリセットする

 

*手軽なストレッチで筋肉をほぐす。

 

ウオーキング有酸素運動などで血流を促す。

*入浴はぬるめのお湯に浸り、副交感神経を優位に。

(就寝1時間半くらい前が理想)

 

*「香り」アロマなどを生活の中に取り入れてリラックス。

 

*寝る前に、スマホ、テレビ、パソコンなどを見ない。

 

以上は一般的に言われていることなのでご存じの方も多いと思いますが。

 

そしてもう一つ、これは私が最近やっていることで、効き目があるように思います。

 

*寝る前に鼻から3秒息を吸って、口から15秒かけて息を吐く(お腹を引っ込めながらやる。血流が良くなり体温が上がるので寝つきが良くなる)

 

以上のことは、私も以前できることはやっていたのですが、いつの間にかおざなりになっていました。

もう一度改めてやってみよう、と思います。

 

すると不思議なものですね。

何かを意識すると自然と関連性のあるものに出会うことがあります。

 

家の本棚の隅にこんな本を見つけました。

 

 

いつか息子が私に買ってきてくれたものかもしれません。

 

パラパラっとめくってみると、「自律神経が整うと全身が健康になる!」とあります。

 

そして、自律神経の乱れは対症療法では治らない!

 

これは身体のパーツ別に治療を行うだけではなかなかうまくいかない。

そこで、根本原因を探り、そのうえで治療をおこなっていくということ。

 

そして「自律神経の乱れは唾液不足にある!」とあります。

 

この本は唾液を増やして免疫力を上げることで自律神経を整えよう、という内容のようです。

 

これでまた一つ健康への手がかりが増えました。

ゆっくり読んでみようと思います。

 

リハビリを休んでちょっぴりふさぎ気味だったのが、急に明るい日差しがーーー

これを女心と(は)春の空というのでしょうか?

(自分でいうと何かおかしい・・・)

 

そんなこんなで、ここ数日体調のすぐれない私ですが、近くの公園へは出来るだけ足を向けています。

 

私が詩吟公園と名付けたここは、いつも人気がなく街を行き交う車の音ばかり。

 

そんな中、数本ある桜の木にピンクの花びらが、誰の為にでもなく静かに花開いて風に揺れています。

 

春はもうすぐそこですね。

 

 

 

 

 

早春の午後、友人宅を訪れる(後編)

夕暮れが近いカフェレストランで、私と課長はワインを飲みながら向かい合っていた。

 

鳴り続けていたYからの電話はもう途絶えていたが、彼女に今後どう対処すればよいか、お互いに何の考えも浮かばないままだった。

 

ただ一つ私に言えることは、「私はコンプライアンス違反は犯していない」ということだ。

 

S社の契約は、私が退職者から顧客リストをもらい、足しげく訪問しているうちに運よく射止めたものだった。

 

ただ、顧客の希望とは言いながら、同時に私が1000万の古い契約を独断で解約したこと、ここをYはついてくるかもしれない。

 

「解約の件、なぜ一言私に言ってくれなかったのよ!」と。

(彼女が何らかの形で絡んでいたかどうかは定かではないが)

 

だが、あの貪欲な彼女のことだ。

今回の件、私が彼女に忖度してすべてを馬鹿正直に話したらどうなったか?

新しい契約の一部をもっていかれるだけでなく、下手をするとまとまりかけた話も壊れてしまったかもしれない。

 

だから秘密裏に私は独断で実行したのだが・・・。

 

「Ⅿさん、そろそろここを出ましょうか?僕、その辺を少し歩いてから帰ります」

ふと、課長が改まった顔で言った。

 

「課長はお家に帰ります?それとも・・・」

 

「ええ、歩きながら考えてみます。僕のことは大丈夫ですから」

 

課長はさっぱりした口調で言って立ち上がった。

私と課長は店を出ると、それぞれの方向へ歩き出した。

 

イメージ画像

 

その夜、支社長から電話が来た。

 

「Yさんが嵐のように荒れ狂っているんですよ!S社の件、一体どうなっているんですか?」

 

私は困惑した支社長の声に、今回の件をあるがままに説明した。

 

「そうですか?でも、でもですね、自分が正しいと思ったら、何故、彼女に黙って独断でやったんですか?Yさんは、今回の件、自分に一言もなしにⅯさんがやったことを怒っていましたよ」

 

そんな言い方をする彼は一流大学出身で仕事ができ、若くして支社長になったエリートだったが、赴任して早々Yに取り込まれているのだった。

 

このあいだも、1課の古株で優績者のOと、Yがバッティングしたのを支社長が調整していたが、結局支社でNo1のYに肩入れしていた。

 

この営業の世界は、成果(数字)を上げる者がもっとも偉く力を持つ。

また優秀な職員を抱えることは、幹部候補生の課長、さらに支社長の出世にも大きくかかわってくるようだ。

 

結局、支社長との電話で、私の行為がYのプライドを大きく傷つけたことは分かったが、数字的な実害があったかどうかに関しては不明だった。

 

もし、Yのプライドだけの問題ならば、彼女は女王様か!

 

どうやら私はかつて遭遇したことのない、怪物の尻尾をそれと知らずに踏んだのかもしれない。

 

 

翌日、会社で私と顔を合わせたYは、私の話に聞く耳を持たなかった。

 

「言い訳なんか聞きたくないわよ。あなたは私に矢を放ったのよ!」

 

支社長にも、私が謝らない限り許さないと言ったというが、私は素直に謝罪する気にはなれない。

何かがおかしいのだ。

 

その後、私に味方した形になってYの不信感をかった課長は、赴任してわずか数か月で他所へ移動になった。

 

また、Yの横暴ぶりと他の職員へのハラスメントに反感を持っていた古株の職員たちは、私の件を組合問題にした。(私は延々と続くYからの攻撃、誹謗中傷に体調を崩し、会社を休んでいた)

アンチY派にとっては、彼女を倒す絶好の機会だった。

 

支社長は若干私に同情的だったが、自己保身が最も大事だった。

 

私は10日ほど休んだが、心身を整えると再び出社した。

そして数日経ったある日、本社からお偉いさんが数人やってきて聴き取り調査をして行ったが、すべては形だけ、茶番劇だった。

 

その日、会議室に職員、課長、支社長を集め、幹部たちが皆に言ったことは「過去のことはさっぱり水に流して、新たな気持ちでやっていこう」だった。

 

「会合ではⅯさんの思うところをみんなの前ですべて話してください。明日はあなたが主役ですから」

 

昨日、支社長は私にそう言っていたが・・・筋書はいつの間にか変更されていた。

 

組合の役員が挙手して抗議しようとしたが、それも適当に収められ会合はあっさり終了。

 

数分後、幹部たちがエレベーターに乗り込むのを見送るYのキンキンした声が廊下に響いていた。

 

「今日はどうも有難うございました!」

 

晴々と勝ち誇ったような声だった。

 

会社が掲げる人権宣言も法令順守も口先だけ。

会社ぐるみで理不尽がまかり通る世界なのだ、そのことを私は改めて認識した。

 

私は、そうしたダークな水にその後もしばらくつかりながら仕事を続けた。

 

その時の支えは、日ごとに成長する息子の姿、そして何かと力になってくれる同僚A子の存在だった。

 

だが、今思い返せばいい経験だったのかもしれない。

自分のようにどこか甘い人間が、この世の現実というものを肌で感じ、しっかりと見ることが出来たのだから。

 

表向きは立派に見えても、自己保身に汲々とする男性がいる。

そして、世の中にはあのYのようなとてつもない女性が平然として存在する、ということも分かった。

 

ある日、Yの瞳を間近で見たが、青みがかった目の中には何の感情も読みとれず底なし沼のようだった。

 

仕事に於いて、私やA子、その他の職員がいくら打倒Yを目指しても、彼女は常にトップの地位に君臨した。だが、何時からか彼女も大人しくなってきたという。ハラスメントにうるさくなってきた時代のせいだろう。会社も彼女の存在を野放しにできなくなったのだ。

それにしても、この女性はどのような境遇に育ったのか・・・。最後まで不可解な人だった。

     ◇

 

「お待たせ!残っていたご飯でツナのおにぎり追加で作って、残りは冷凍庫に入れておいた。お客さん待たせちゃってごめんね!」

 

ふいに声がして、A子が笑顔で立っていた。

 

「あら、ちょっと遅いと思ったけど、キッチンにいたの?」

 

私は苦笑いしながら、A子は相変わらず現実的で堅実な人だな・・・と思った。

 

彼女は私が会社を辞めた後もコツコツ勤め続け、このマンションも手に入れた。

一方の私は、あのYとのことがあった数年後、A子に言わせるとあっさり会社を辞め、その後も働き続けたが、同じ場所に長く留まることはなかった。 

 

住まいにしても今のところに定住する気はなく、近い将来引き払ってどこか海や森のある自然に近い場所で暮らしたいと思っている。

以前、A子にそのことを話すと「あまり遠くへは行かないでよ。寂しくなるから」と言った。

 

彼女は好きな花や観葉植物を育てながら、このマンションで暮らしていくと言う。

やはり私と彼女は似て非なるものか。

 

男性のことでも私が好きなのは、まずは心のあたたかい広やかなひと。

そして世俗にまみれず、できるだけ清く純なひとが好き。

 

一方彼女はといえば、少し崩れたチョイ悪な人に惹かれるらしい。

どうしてそんな人がいいのかな?私にはわからないが。

 

ただ二人とも好みのタイプの男性と一緒になった筈なのに、色々あって別れてしまい今はお互い独り身だ。

 

だからこうして何時だって会いたいときに会って気ままに過ごしている。

 

私の趣味の詩吟を一緒に聴いたり、彼女の好きな花や植物の育て方を教えてもらったり、と話は尽きない。

 

そんなわけで早春の午後、私と友人A子の歓談は、時間を忘れていつまでも続くのでした。

                             (おしまい)