ブログ百科ララ♫

幸せな人生を送るために書くブログ集

【新しい年を迎えて、今年も厳しい年になりそう!?】

お正月も早や、松の内が過ぎました。

 

私は、元旦から三日までは家でゆっくりしていましたが、四日目には自転車で

農業公園へ。

 

ここは、家から十分くらいで行ける川の近くにある公園で、四季折々に花や自然

が楽しめる場所です。

いつも気が向いた時、ブラっとサイクリングがてら向かいます。

 

でも今頃の季節は、梅林に花を見るにはまだ早く、園内を一回りした後

新年の日の光に輝く川を眺めながら帰ってきました。

 

 

 

そしてお正月もあと残りわずかになった日、何時もの朝の散歩に。

見慣れた風景だけど新たな年の初めにと、画像を撮りながら歩きます。

 

           冬枯れの詩吟公園

 

         ブランコに乗って遊ぶ            

 

          大空に柿と白い花

花はモクレンにしては早すぎるし、何の花だろう?

 

      いつ通っても風情のある中庭のある家

 

              これは椿か、山茶花か?

花がカップ状に咲くのが椿、平たいのが山茶花だそうです。

私は椿だと思いますが・・・。

 

 

     大空を掃き清める竹ぼうきのような木が清々しい!

 

           家の近くの公園の木

 

この大木は桜、春の見ごろには満開の花が咲き誇ります。

 

朝の散歩はやっぱりいいな。

特に新年の散歩は、何を見ても新鮮で爽やか~♫

 

 

そんなことを思いながら家の近くまで来た時です。

 

通りから一本入った住宅街の道端に、男の人がよろよろと倒れたかとおもうと

両膝をついて起き上がれずにいる、そんな姿が目に入りました。

 

側に行くと、ひどく痩せた高齢の方です。

 

「大丈夫ですか?」

私が思わず声をかけると、「大丈夫です」と頷きながら立ち上がろうとしますが

起き上がることが出来ません。

 

「足、どうしたんですか?」

私は自分の足が悪いだけに、気になって訊ねました。

 

「自転車で少し前に転んで、おかしくなったんです」

男性は言います。

 

「じゃあ、早く病院に行って診てもらった方がいいですね」

 

私の言葉に、男性は「近いうちにおじさんに病院へ連れて行ってもらう。

ただ、もう少し動けるようになったらと言われた」と言います。

 

話は少し分かったような分からないような感じですが。

 

家はすぐ近くとのことなので、私が「送っていきましょうか?」と聞くと

今は買い物に行く途中なのだと言います。

 

買い物はすぐそこの通りに面したコンビニまでと言いますから

普通は何分とかかりません。

 

でも男性の様子では、かなり厳しいと思った私は「ちょっと待っててください。すぐ来ますから」と言って家へ帰り、大急ぎで杖代わりに傘を持って戻りました。

 

(足が痛くて歩けない時、この傘を杖代わりにして、私はだいぶん助かった

ことがあります)

 

「私もお店まで一緒に行きますから」

男性は私の言葉に「一人でも大丈夫ですから」と言いながら、傘を手に

して立ち上がろうとしました。

 

でも、立ち上がっても一歩、二歩進むのがやっとで、私が手をかしても

なかなか前に進めません。

 

これでは通りの信号を無事に渡れるかどうか・・・いや、そこまでいくのも

難しいのではないか。

 

どうしたものか・・・と私が考え込んだ時でした。

すぐ前の家から一人の主婦らしい女性が出てきて言いました。

 

「あのー、さっきからずっと見てたんだけど・・・」

 

気っぷの良さそうな年配の奥さんは、気になって出てきたのだといいます。

私は話したことはありませんが、通りがかりにたまに見かける人です。

 

私が状況をざっと説明すると、彼女は男性のことをすぐ裏の家に住む人で

少し前まで鉄工場の職人さんだったことや、今も家族(お兄さん)と二人で住んでいること等話してくれました。

 

そして「今、うちの人が帰ってくるから、そうしたらタクシーを呼んで病院へ行ったらいいんじゃないのかしら」と言います。

 

家に行けばお兄さんがいるという男性の話でもあり、話は急な展開になりましたが、

私は奥さんと一緒に裏の家へ行き、お兄さんに会って保健証ももらってくることになりました。

 

奥さんの家の細い横道をたどっていくと、住宅に囲まれた古い家がありました。

 

玄関に立って声をかけますが、いくら呼んでも返事がありません。

男性は鍵は開いてあいているから、と言っていましたから、奥さんとそっと

戸を開けて中へ入りました。

 

中は物で雑然としています。

 

保健証は、居間のテレビの上だと言っていましたが、テレビそのものが見当たらず

あちこち探しますが保健証は見つかりません。

 

あの男性は、話してみるとみかけよりも大分若く、話しぶりもさほどおかしい所は

ありませんが、うまくコミュニケーションが取れないのは否めません。

 

お兄さんもおらず、保険証もなく、さりとて男性をこのままにしておくことは出来ず。

私と奥さんが戻ると、奥さんが待ちかねていた旦那さんが帰っていました。

 

そして話は急展開に進み、タクシーが呼ばれ、奥さんが「こちらで出すから」とタクシー代を「お金はあるから」という男性に渡し、男性が前に行ったというかなり遠い病院へ運転手さんに訳を話して送り出しました。

 

私は、後先のことも考えれば、自分がリハビリで通ったすぐ近くの病院はどうかと

提案しましたが、話はバタバタと進んでしまいました。

 

 

男性がタクシーに乗って動き出した後、「運転手さんにしっかり頼んだから大丈夫よ」という奥さんの側で、旦那さんは心配そうにタクシーの行方をみつめていました。

私も同じく、男性のこの後の行く末を思って立ち尽くしていました。

 

運転手さんだって自分の仕事があるのだし、どこまで面倒をみれるのか、

救急車のほうがよかったのではないか、保険証もなしに行って診てもらえず

帰るのにも一苦労するのではないか・・・考えればきりがありません。

 

新年から自分の判断力の甘さ、決断力の弱さを感じ反省する出来事でした。

 

 

新年の散歩の途中、思いがけないことに出会った翌日、私の住む地域には

四十日ぶりとかいう雨が降りました。

乾燥続きの後には恵みの雨です。

 

でもここのところ、北陸、東北地方は寒波が来て、災害級の豪雪で大変だとの

ことです。

私も雪深い地に育ったので、雪の大変さよくわかります。

 

夏は猛暑、冬には大雪という自然の異変現象。

 

そして下がるどころか、更なるお米の高騰や、今後もどんどん上がるという物価。

 

これから私たちの生活はどうなるのか?年明け早々、そんなことを考えてしまいます。

 

でも、何とかその中を強く生き抜いていくしかありません。

 

と、結論が出たところで、今年も元気にやっていきたいと思います!

ではまた、お元気で~♫

 

 

 

【2025年、新しい年に向けて】

 皆様、明けましておめでとうございます。

 

2025年、どんな新年をお迎えでしょうか?

 

 

昨年はお正月早々、様々なアクシデントがあり波乱の幕開けとなりましたが

今年は、どういった年になるのでしょう?

 

世の中のことは自分の思い通りにはいきませんが、個人的には

穏やかで爽やかな年にできればと思います。

 

 

去年のこと

昨年の私は、悪くなった股関節症を何とか手術なしで維持したいと

頑張った年でした。

 

まずは自分なりに、良いといわれるストレッチやウオーキング、食生活

などに気を配りましたが、結果は整形でリハビリすることになりました。

 

二月半ばから六月までの五か月間、理学療法士さんの指導の下訓練しました。

 

そしてリハビリ終了後、今まで教わったことを頭に、再び自力で継続する日々。

途中まで、幾らか良い方向に向かっているかのように思いましたが・・・。

 

この股関節症は一筋縄ではいかないものですね。

約半年くらい経った秋の頃から、また痛みが出るようになりました。

そして悪い方の足(右足)の膝が徐々に痛み出してきた・・・。

 

寒さのせいもあるかもしれませんが、よくない方向に向かっているのでは

ないか、と不安になりす。

 

いっそのことあの長嶋一茂さんのように、凄腕のドクターⅩにバッサリと

やってもらおうか?などと思ったりします。

 

それにしても、ご覧になった方は分かると思いますが、凄い手術でしたね!

リアルな映像が生々しすぎて目を見張りました。

 

一茂さんが再び元気になって、テレビでコメントしている姿を見て

きっとギリギリの崖っぷちの所まで辛抱して、決断したんだろうな・・・

と人ごとながら身につまされました。

 

 

では、自分自身のこの悩ましい身体についてはどう対処するか?

それが今年の大きな課題になりそうです。

 

年明けから少し重い話になりましたが、でもまだ希望は持っています。

私の場合、まだ何かしら手を尽くす余地はあるのではないか?

 

結論:今年も自分なりに精一杯やってみて、ダメだったらまたその時考えよう。

 

 

初夢

ところで、お正月と言えば初夢、皆さんは初夢をこれまでに見たことが

ありますか?

私はこれといった記憶はありません。

 

初夢は、諸説ありますが、一般的にはお正月を迎えた一日(ついたち)の夜に寝て

二日目(ふつかめ)の朝までに見る夢のことだそうです。

 

また、見なかった場合はその後初めて見たものを初夢というそうです。

私は今年は少し意識して眠りに入ろうかな、と思います。

 

縁起の良い初夢は、一富士、二鷹、三茄子(なすび)と言われていますので

出来ればそれにあやかりたいと思いますが、そうそう思い通りには

いかないでしょうね。

 

では今夜どんな初夢を見るかはお楽しみとして、縁起が良いとされる一位の

『富士山』にちなんだ曲を、詩吟の中からお届けしたいと思います。

 

 

富士山

これは、世界遺産にもなっている日本一の山、富士山の雄大さと美しさを讃えた

石川丈山作の漢詩で詩吟の中でも人気のある歌です。

 

石川丈山:江戸初期の德川家藩士漢詩人。途中武士を捨て、京都の詩仙堂

に居住、享年90歳。

 

沢山の人に詠われていますが、今回は私の好きな早淵良宗さんの吟詠で

聞いてください。

 

(そのままでも楽しめますが、ヘッドフォンで聞いていただけると

より音声の繊細さが伝わってきますので、よかったら)

 

 


www.youtube.com

 

読み方】

仙客(せんかく)来たり遊ぶ 雲外の頂き

神竜(しんりょう)棲み老(お)ゆ洞中の渕

雪はがん素の如く煙は柄(え)の如し

白扇倒(さかしま)に懸(かかる)東海の天

 

【通釈】

雲の上に高くそびえる富士山の頂きには、仙人が来て遊ぶといわれ

また洞中の深い淵には神竜が昔から棲んでいるとも言われている。

頂きに積もる雪は扇の白絹のごとく、頂きより立ち上る煙は扇の柄のごとく

その雄姿はさながら白扇を逆さまにして東海の天にかけたようである。

 

では皆さん、今年もよろしくお願いいたします。

皆さんのブログ楽しみにしています。

 

良い初夢が見られますように!

 

 

 

 

【思い出の場所・高台の寺】③冬紅葉(ふゆもみじ)

葬儀会館の壁に蟷螂(とうろう/カマキリ科の昆虫)が

じっと身動きせずにいます。

         

蟷螂は昨日から、ずっと同じ所に張り付いたままです。

私はその枯れたような茶色の姿に、藤原さんを思いました。

 

彼がwさんとのトラブルでこのお寺を去ってから、もう数日が経ちました。

 

あの日、藤原さんが狂ったように咆哮を上げながら歩いた境内には 

秋の陽が降り注ぎ、黄色や赤に色づいた木の葉が散っています。

 

 

私が九月から仕事をすることになったお寺での毎日、それは一カ月ほどで

思いがけないアクシデントに見舞われることになったのですが

その結末を、かいつまんでお話ししておきたいと思います。

 

~あの日、境内で藤原さんが奇声を上げる声に、何事かと出てきた案内所の女性は

「どうしたんですか?」と私に硬い表情で訊ねました。

 

「はい、今日、wさんと藤原さんの間に一寸したトラブルがあったのですが

その後、急に藤原さんがおかしくなって・・・申し訳ありません」

 

相変わらず狂ったように叫びながら、ふらふら歩く藤原さんを見ながら

私は答えました。

 

「このことは、寺務所へ報告しておきます」

女性は、凛とした声で言いました。

 

もはや成す術もなく私が立ち尽くしていると、山門の横から一台の車が入って

来るのが見えました。

車を降りてこちらへ向かってくるのは、私が勤める会社のoさんという男性

で、社長の右腕的な人です。

 

私が事情を話すまでもなく、彼は社長から連絡があって話を聞いているのか

地面に突っ伏したまま呻いている藤原さんに呼びかけました。

 

「藤原さん、俺が全部話を聞くから。全部あなたの話を聞くよ!」

 

やがて藤原さんは、oさんに腕をとられながら境内の入り口に駐車した車に

向かいました。

中でいろいろ話しているのか、しばらく出てくる様子はありません。

 

私は少し解放された思いで残りの清掃を続けましたが、不思議なことに

寺務所から誰一人お坊さんが出て来る気配はありませんでした。

 

やがて藤原さんは話が済んだのか、幾らか正気をとり戻した感じで私の処へ

やってくると「もう終わりです」と呟きました。

 

「oさんは何て言ってました?」

「wさんの横暴な物言いは分かってくれました。でも社長はトラブルを起こした

私に怒っていて、あとで連絡を待つようにと言われました」と言います。

 

私は何故、藤原さんがあんな錯乱状態になったのか疑問でしたが、改めて聞くと

社長が電話で言ったという「藤原さん、とんでもないことをしてくれたね!」と言い放った言葉が引き金になったようです。

 

wさんの横暴より、自分が社長に咎められた事で孤立感を覚え、自暴自棄になって

しまった、ということでしょうか・・・。

 

また、その日の午前中、藤原さんとwさんとの間にあったいざこざは、寺務所から

いち早く社長の耳に入っていたようです。

 

藤原さんが今後どうなるのか分からないまま、私はとにかく藤原さんを促して

謝罪に寺務所へ行きました。

 

「今日は大変申し訳ありませんでした」

 

二人そろって頭を下げると、居合わせた古参のお坊さんは微かに頷きました。

 

私と藤原さんは玄関を出ると山門の前で何時ものように、それぞれ帰る方向に

別れて歩き出しました。

後のことは明日を待つしかありません。

 

 

翌日、社長は昨日の件でお寺へきて事務長さんと話したようでした。

 

「これまで通り仕事のことは頼みますよ」

社長は、先代の社長からの長い付き合いである事務長さんに、そんな言葉を

掛けられたとのことでホットした表情です。

 

そして藤原さんについては話し合った結果、ここを辞めて社長が請け負っている

他のお寺へ行くことになった、と言いました。

 

「藤原さんって、どうしてこの仕事についたんでしょうね?」

 

私は前から疑問に思っていたことを聞いてみました。

あの方には、もっと別な仕事があるように思えたのです。

 

「彼はね・・・関西の方の出身で大学もそっちの方を出ているんだけど

これまでにもいろいろあったらしくて。そこでやっていけなくなって

ここまできたんじゃないですか。彼、ああ見えて性格的に一寸難しいところ

があってね・・・」

 

社長は呟くように言いました。

 

社長とお寺さんとの関係、そして藤原さんのこれまでの人生、そこには

私の知りえない舞台裏があるようです。

 

「藤原さんが、あなたに謝っておいてほしいと言っていましたよ。

Ⅿさんには悪いことをしましたって」

社長は最後にボソッと付け加えました~

 

*ここまで前回の結末部分のあらましです。

 

 

③冬紅葉(ふゆもみじ)

藤原さんがいなくなった後「もう一人誰か付けましょうか?」という社長の

言葉を断って、私は一人で仕事をやり始めました。

 

一人でもやっていける仕事量でしたし、社長は、無理をしないでのんびり

やってくれればいいと言ってくれたからです。

 

wさんというお坊さんは、あのトラブルの後少し大人しくなっていました。

 

口調は相変わらずぶっきらぼうですが、時折親切だったりします。

でも、私は藤原さんのことがあったせいか、彼には当たらず触らずで

気を許すことは出来ませんでした。

 

十月は、浄土宗では十夜などの行事があり多忙な月とのことです。

その日、いつものように仕事していると、境内に車が次々と入り、お坊さんが

下りてきます。

 

地下のホールで法要があるようです。

こういう時は、いつもの清掃を控えて一旦、待機することになっています。

 

私は、お寺の内部にある手洗いのペーパーを補充しておこうと

寺務所の奥にある物置に行きました。

 

でも、ペーパーは藤原さんが担当していたので収納してある部屋が

はっきり分かりません。

 

そこへwさんが通りかかったので、訊ねてみました。

 

「そっちですよ」

wさんは顔を向けて言いましたが、私がうろうろしていると、自ら先に立って

案内してくれました。

 

用事を済ませた私が地下の収納庫へ行こうとすると、ホール前の通路には

色とりどりの袈裟を纏ったお坊さんたちが待機しています。

 

これからいよいよ法要が始まるようです。

私は少し足を止め、煌びやかで厳かなお坊さんたちの列を見つめました。

 

すると、最後尾に並んだお坊さんが急に私を振り返って言いました。

 

「さっきは大丈夫でしたか?」

 

突然のことに私が息をのんでいるとーー

「wさんは、口のきき方が少し乱暴ですからね。そっちじゃない、こっちだよ!

とか言ってましたね・・・」

 

ああ・・・と私は思いました。

そういえばあの時、近くの和室付近にお坊さん達が何人かいました。

きっと、この方も私とwさんのやりとりを見ていたのでしょう。

 

「はい、大丈夫です。私がうろうろしていたので案内してくれました。

時々親切なところもあるんです」

 

「あっ、そうですか」

お坊さんはふっと微笑しました。

 

それにしても、この方はどなたなのでしょう?

このお寺では会ったことのないお坊さんです。

 

端正で気品のある顔立ち、袈裟を纏ったすらりとした体躯(たいく)。

全身から神々しいほどのオーラが出ています。

 

「あの、失礼ですがここのお坊さんでいらっしゃいますか?

初めてお目にかかりますが・・・」

私は思いきって訊ねました。

 

「はい、ここの者です。私はここしばらく他所へ行っていましたので

それでお会いしなかったのだと思います」

 

「ああ、そうでしたか・・・」

 

それで納得がいきましたが、あまり不躾に話しかけてしまった事を

恥じた私は、姿勢を正してお礼を言いました。

 

「お気遣い頂きまして、有り難うございました」

 

お坊さんは軽く会釈すると、前のお坊さんたちに続いてホールの入り口へ

歩き始めました。

丁度、列が動き出したところでした。

 

 

翌日ー

私が仕事をしていると、昨日のお坊さんが境内を歩いていくのが見えました。

 

黒いこざっぱりした作務衣を着ているせいか昨日とはかなり違った様子です。

 

袈裟を纏っていた時のどこか近寄りがたい印象から、まだ若い修行僧に

変身した、という感じです。

 

私は、(あの方は本当にここのお坊さんだったんだ・・・)と、昨日のことが

夢ではなく現実だったのだ、と改めて思いました。

 

 

その後、このお坊さんとは廊下や寺務所など、どこかしらでお会いしますが

どんなときにも、心のこもった対応をしてくれます。

 

例えば、仕事上で困ったことがあった時は、自分の仕事をいったんおいて

見てくれたり、仕事終了の挨拶をしに行くと、玄関のチャイムが鳴れば大抵

この方が出てきて、ねぎらいの言葉をかけてくれます。

 

私は一緒に働いていた藤原さんが辞めた後、一人で淡々と仕事をこなす毎日

でした。

でも、この名前も知らないお坊さんの存在、それはひっそりと生きる私に

一筋の光を当ててくれるかのようです。

 

或る日、私が休憩時間に、ホールの通路にあるお寺のパンフレットを見ていると

案内所の女性が通りかかりました。

 

少し話すうち、彼女はお坊さん達の名前や役どころなどを簡単に紹介してくれました。

 

それによると、あのお坊さんの名前はTさんといい、ここで何年か修行をした後

独立してゆくとのことです。

 

とにかく名前だけでも知ることが出来てよかったです。

 

十夜法要(浄土宗の寺院でおこなわれる秋の念仏会)でお坊さんたちは

雅楽の演奏をするようですが、時折、お寺の奥から笛の音が聞こえてきます。

 

(きっとこの笛の音はあのTさんが吹いているのではないかしら・・・

あの方には笛が似合う)私は一人決めして耳を澄ませ聞き入りました。

 

十夜法要には沢山のお客さん(檀家さんなど)が集まりますから、私もその間、お茶の用意などを手伝います。

私の会社の社長やスタッフの人達も時折来て、樒(しきみ)という良い香りのする仏前草を束ねたり、テントを張ったりと賑やかな日が過ぎてゆきました。

 

藤原さんのことは、「彼も元気でやっていますよ」と社長が言っていました。

 

あの騒動の後、藤原さんからは「分からないことがあったら何時でも連絡して

ください」という電話があったのですが、社長の言葉にホッとしました。

 

 

そんな日が過ぎて11月の半ばになると、急な冷え込みにお寺はますます深閑となり

散らずに残った紅葉が一際、美しく映えます。

 

 

お寺にいつもの静寂が戻ったある夕方、ゴミを出しにお寺の裏手に行くと

Tさんが裏口に立っています。

私は何か物思いにでも耽っているかのようなTさんに軽く会釈しました。

 

「ゴミは、そこのトラックの荷台に置いておいて下さい。後で出しに

行きますから」

 

Tさんの言葉に従って、ごみ袋をトラックに乗せると車の下に猫が二匹 

いるのに気づきました。

 

「ここには猫がいるんですね」私は言いました。

 

「ええ、そうなんですよ。三匹いて、今頃の時間になるといつもエサを食べに

来るんです」

 

「そうですか。どなたがエサをやっているんですか?」

 

「私達や、ここのお坊さんの奥さんがエサを持ってきてくれるんです。でも猫は何時までたっても懐かなくて、まだ私にも触らせてくれないんですよ」

Tさんんは苦笑いして言いました。

 

「三毛とトラはいるけど、白い猫はいませんね。いつか中庭から飛び出してきて

びっくりしたんですけど・・・」

 

「ああ、あの白はちょっと変わっていて、ほかの猫とは少し離れているみたいですね」

 

「そうなんですか。でも真っ白なきれいな猫でしたね」私の言葉に

Tさんは微かに笑って頷きました。

 

そして帰り際、裏口に目をやると、ふっと消えたようにTさんの姿はありませんでした。

 

その場を離れながら私は(あの白い猫は、もしやTさんの化身ではないのかしら?)

などと想像しました。

 

 

これからの寒い季節を、春までやっていけるだろうか?

次第に冷え込みが厳しくなるお寺での仕事に、私が不安を感じていた時

社長が新しいストーブを買ってきてくれました。

 

収納庫に置いた真っ白なストーブにさっそく火をともして温まりながら

久しぶりに社長とゆっくり話をしました。

 

「Ⅿさん、ここまでよくやってくれましたね。年末にはスタッフみんなで時間を忘れて飲んだり食べたりしますから、是非Ⅿさんも出て下さいね。楽しいですよ。藤原さんも来ると思いますよ」

 

「そうですか。楽しみにしています!」

 

別れた夫が不意に他界してから、私は何かを楽しむということをすっかり

封印していました。

 

でも今では、自分の中に少しずつ前向きな力が蘇ってくるのを感じます。

社長が誘ってくれた年末の飲み会には皆と大いに楽しもう。

そしてこの冬を何とか乗り切っていこう、そんな気持になっていました。

 

 

やがて、その年もあと一カ月足らずに迫った朝のこと。

 

いつものようにお寺の玄関を入ろうとして、私は目を見張りました。

 

寺務所の玄関前に落葉が小山のように積み上がって、ずっと先まで続いているのです。

昨夜、強い風でも吹いて吹き寄せられたのでしょうか?

 

これではとても行き来することが出来ません・・・。

 

玄関を入ると、Tさんと一番若いお坊さんが通りかかって、これから二人して

玄関前の落葉を掃くのだといいます。

 

私も急きょ、入り口から落葉を掃き進めてゆきました。

 

少しするとTさんが向こうからこっちへ落葉を掃きながら向かってきます。

そして、掃き溜めた落葉を若いお坊さんとwさんがリヤカーに乗せて捨てに行きます。

 

三人で時々ふざけ合いながら楽しげにやっている姿をみながら、私は黙々と

落葉を掃いてゆきます。

 

その繰り返しをしているうちに、私とTさんの距離はみるみる縮まって

ゆきました。

 

山のような落葉がわずかになった時、Tさんがうっすら上気した顔を上げて

言いました。

 

「あと少しですね!」

 

Tさんの笑顔が朝日を浴びてきらきら輝いています。

 

「そうですね」

私は頷いて微笑み返しました。

 

いつの間にか自然体で会話をしているTさんと私。

 

そして、みんなを結び付けてくれるかのような落葉掃き。

 

私は散り残った冬紅葉に一人、感謝していました。

 

                                  (了)

 

『追記』

『長いお話にお付き合い下さって大変有り難うございます』

 

私はこの後、お寺で仕事中に転倒して剥離骨折し、仕事を継続すること

が出来なくなりました。

良い出会いがあった中での突然の別れ・・・残念です。

 

でも、短い間でしたが異なる場所で生きる様々な人との出会い、貴重な思い出と

して残っています。

 

その後、このお話の中の皆さんが、どんな人生を歩まれているのか分かりませんが

今頃の寒い季節になると、決まってこの高台のお寺を思い出します。

 

思えば、転倒した日は十年前の十二月二十五日でした。

 

 

先日、久しぶりに訪れた高台のお寺は寒空の下に深閑として立っていました。

 

私は境内を歩きながら、あの日と同じ冬紅葉を眺め、本堂に手を合わせて帰ってきました。

 

 

『では皆様、今年も有り難うございました。良いお年をお迎え下さいね!』

 



 

 

【思い出の場所・高台の寺】②落葉を掃く

落葉を掃く

私が働くことになったお寺での仕事は、夏の暑さもやや引きかけた

9月のはじめにスタートしました。

 

その頃の9月と言えば、何時までも続く最近の猛暑とは違って

どこか秋めいて涼しく感じられました。

 

朝8時を少し過ぎて朝のラッシュに揉まれながら最寄りの駅を降り

坂道を上がると、やがて高台にある山門が見えてきます。

 

まだ深(しん)と眠っているかのようなお寺の境内から、本堂下の地下へ降り

ロッカーがある収納庫に行きます。

 

一緒に仕事をする先輩の藤原さんは、バスの都合ですでに到着し

仕事の準備に取り掛かっています。

 

藤原さんは、年のころ40代半ば過ぎの男性で、細身で顔色が蒼白く

弱々しい印象ですが、とても折り目正しい男性です。

 

私も急いで紺の清掃着に着替え、箒(ほうき)やモップなどを用意をし

9時きっかりに、二人揃って本堂の右手にある寺務所へ朝の挨拶に

行きます。

 

最初に、このお寺の全貌をざっと説明しておきますと、ここは通りから

見ただけでは分かりませんが、かなり大きなお寺です。

 

 

境内の正面にどっしりと威厳のある本堂が立ち、左手に葬儀会館と案内所

そして右手には、寺務所と台所にあたる庫裡(くり)、法事が行われる

和室などがあり、裏手は植栽や樹木が茂る中庭になっています。

 

ところが、これらの建物の背後には広大な敷地があって、そこには何基と

知れない膨大な数の墓石が連なっているのでした。

初めて中へ入った時には、迷路のように続く墓地に圧倒されました。

 

後で知ったのですが、ここは数百年もの歴史を持つ由緒あるお寺で

或る戦国武将にゆかりのある人たちが多く眠っている寺院とのことです。

 

 

9時に寺務所に行くと、古参のお坊さんが数人机に向かっています。

 

「おはようございます。これから朝のお掃除を始めさせていただきます。

今日もよろしくお願い致しまします」

先輩の藤原さんの声に合わせて私も頭を下げます。

 

「ご苦労さま、お願いします」」

大抵、事務長さんと呼ばれるお坊さんが、声をかけてくれます。

 

清掃はまず玄関から始め、土間を掃いたり、下駄箱を拭いたりします。

 

仕事のやり方は、最初、藤原さんについて一つ一つ覚えてゆきます。

 

藤原さんが丁寧に教えてくれるので、思ったより早く覚えることが出来ましたが

やはり場所柄なのか、非常に緊張をしいられます。

 

お坊さんは、寺務所以外にも若いお坊さんが数人いて、お掃除をしていると

廊下を忙しく行き来しています。

 

このお寺は、皆さん外から通いで来ているとのことです。

 

玄関の次は地下にある手洗い所の清掃にかかります。

これはお寺全体に言えることですが、ここも常に掃除がいらないくらいに

綺麗に保たれています。

 

途中短い休憩をとりますが、藤原さんは寺の裏手の方へ煙草を吸いに行き

私は墓地の中を散策したりしています。

 

その後午前中いっぱいは、お寺の外部を中心にやっていきます。

 

そして、お昼は自分たちで持参したり、近くへ食べに行きますが

時折、このお寺の清掃・園芸を束ねている、会社の社長がやってきて

藤原さんと私を行きつけの店へ誘ってくれます。

 

社長は二代目でまだ若く、とても気さくな人です。

私が長年務めていた会社の男性陣(課長、部長、支社長)などのホワイトカラー

と呼ばれる人達には中々見られない、清々しさを感じます。

 

上司や部下などとの複雑な人間関係や出世欲、仕事の厳しい重圧などとは

どこか離れた次元にいるためでしょうか。

 

あって間もなく、私はこの社長の気取らない人柄に好感を持ちました。

でも、藤原さんは何故か、社長から食事に誘われる事に抵抗があるようです。

 

「私は遠慮します。後が怖いですから・・・」

そんなことを伏し目がちに呟くのです。

 

どうして、そんなことを言うのか、私には彼の気持ちがわかりません。

でも社長が、私と藤原さんの二人で、このお寺の清掃を順調に続けていってくれる

ことを望んでいるのは感じました。

 

 

お寺に来て一カ月近く経った頃、私は藤原さんの指導で大分仕事が

出来るようになっていました。

 

そこで午前中は今まで通り二人で一緒にやり、お寺の内部を掃除する午後は

下の階を藤原さん、二階を私が受け持ってやることになりました。

 

私は、本堂の奥にある貫主(かんす・かんしゅ)さんの部屋を掃除するのが特に好きでした。

 

貫主とは、住職と同じお寺の最高位にあるお坊さんです。

お寺には月に何度か来られますが、その不在の時、清掃に入ります。

 

初めてその部屋に入った時、お坊さんというより作家の書斎にでも入ったような

親しみやすい印象をうけました。

 

壁の本棚には仏教の本が沢山並んでいますが、一般人でも読みたくなるような

ものが何冊か並んでいます。

 

そして大きめのどっしりとした黒い革張りの応接セット、如何にもくつろげそうです。

 

部屋の窓を開けると、広大に連なる墓地の一部が目に入ります。

そして目を遠くに向けると、都会の街並みが大空の下に果てしなく眺め渡せます。

 

私は時が止まったかのような静謐な部屋で、この風景を眺めながら思いました。

(このお寺に来て良かった・・・)

 

清掃という仕事を通して日々、自分はここで修行させてもらっている。

そんな気持になります。

 

全く経験のない素人の自分を快く採用してくれた社長、丁寧に仕事を教えてくれる

藤原さん、二人との出会いにも感謝です。

 

 

そうした或る日でした。

 

私が貫主さんの部屋で仕事をしていると、藤原さんが突然入ってくるなり声を荒げて

言いました。

「あのwさんって、どうにもなりませんよ。もう嫌になりますよ!」

「どうしたんですか?」

私は仕事の手を止めて訊ねました。

 

何時も物静かな人で、こんなに血相を変えた藤原さんは見たことがありません。

 

「どうもこうもありませんよ。私が汗水たらして廊下を掃除していたら

突然後ろからwさんが来て言ったんですよ。電気をつけて、電気をって!

だから言いましたよ。点けなくても見えますからって。

そうしたら見える訳ないだろーって、あのどんぐり眼で大声で叫んだんですよ!」

 

(ああ、そんなふうに返してしまったのか・・・)

私は思いました。

 

wさんというのは、何かにつけて注文をつけてくる中堅どころのお坊さんです。

私も最初のころ玄関の掃除を始めたところ、「電気をつけて、電気を!」と突然

言われてビックリしたことがあります。

 

明かりは付けていたつもりでしたが、wさんから見ると暗かったようで

私は沢山あるスイッチをやみくもに押しました。

 

この方には下手に逆らわない方がいい、そのとき思いました。

 

案の定、藤原さんの話ではwさんは以前から口うるさい人で、藤原さんが教わった前の

担当者もたまりかねて辞めていったといいます。

 

これは初めて聞く話でした。

 

藤原さんは、これまでの鬱憤を晴らすように、wさんに対する愚痴を吐き続けます。

 

wさんは卒塔婆を書く担当ですが、(ある日、その和室で寝転んで携帯をいじって

いた。

またある時は、法事があってテーブルをwさんが拭いていたが、いい加減に

丸く拭いていた。

そんなことを自分に見られてしまったので、きっと彼は私に嫌がらせのつもりでいろいろ言ってきたのでしょう。ああいう人が果たしてお坊さんとしてやっていけるものかどうか・・・)

藤原さんの話は止まりません。

 

私はまだ新米で、彼の話にどう対応していいのか分かりませんんでしたが

一言いました。

 

「あの方は、きっと修行が足りないのではないでしょうか?だから逆らっても

しょうがないと思います。ですからこれからはとにかく電気をつけましょう。電気を!」

 

藤原さんは毒を吐いて少しは気が済んだのか、私の言葉に軽く笑いました。

 

 

午前中、そんなことがあった午後。

 

私と藤原さんが境内で落ち葉を掃いているとwさんが現れて言いました。

 

「ホールのドアが全部開いているけど、お掃除の後は閉めておいて下さい」

私が藤原さんに顔を向けると、彼は目を伏せたまま黙っています。

 

「猫が入ってきておしっこをしたりするといけないから」

wさんが続けました。

 

「あっ、そうでしたか。じゃあすぐに閉めておきます」

ドアは空気の入れ替えのため、少し開けているのですがそういうことなら

納得がいきます。

 

猫と言えば、いつか中庭から白い猫が突然目の前に飛び出してきて、びっくりしたことがありましたから。

 

さっそくホールのドアを閉めにいこうとすると、wさんがまた言いました。

 

「ホールの掃除は何度位やっていますか?あそこは始終使ってゴミが出やすいから」

 

この質問に藤原さんはやはり目を伏せたままなので私は答えました。

 

「週に二回くらいです。会合で出来ない日もありますので」

 

「ウン・・・、もう少し回数を増やしてください。それとモップを使う前に

ゴミをいったん掃いてからやって下さい」

 

すると、それまで黙っていた藤原さんが顔を上げて言いました。

「それはやっています。いつも一度ゴミを掃いてからモップを・・・」

 

すると藤原さんが説明している最中に、wさんが強引に割って入り

「だから」「ですから」と二人の言葉がぶつかり合い口論のようになりました。

 

「だから、とにかく臨機応変にやればいいんだよー!」

最後にwさんはブチ切れたように藤原さんを睨みつけながら、大声で怒鳴りました。

 

この横暴なwさんの態度を目の当たりにして、私の頭に前からあった思いが過ぎりました。

(このまま何かにつけて、wさんの一方的な言い草に従っていくのはたまりません)

 

「あの、私思うんですけど・・・」と、私は口を開きました。

 

「お掃除のやり方は、特にマニュアルはなく前の担当者から引き継いでいるようですが

この際一度、お寺さんのご意向を改めて聞かせていただければ、と思うのですが

どうでしょうか?長い間には一寸した食い違いが出来ているかもしれませんので」

 

すると、wさんは意外と素直に言いました。

 

「いいですよ。じゃあ寺務所で聞いてみてください。でもホールのことなどは私が言ったとおりだという筈ですよ」

 

「そうですか。では今からさっそく行って参りますので」

私が言って歩き出すと、藤原さんも一緒に歩き出しました。

 

寺務所に行くと古参のお坊さんが二人いました。

 

私がwさんとのやりとりをそのまま伝えると、年嵩(としかさ)の

お坊さんがあっさり言いました。

 

「清掃の仕事のことはすべて、お宅の社長さんのいうことに従ってやって下さい。

あの者(wさん)はなんの権限もない者ですから」

 

この言葉を聞き、二人で深々と頭を下げ寺務所を後にすると、藤原さんが少し

小気味良さそうに呟きました。

 

「やっぱりwさんは、みんなから浮いているお坊さんだったんですよ・・・」

 

二人して境内に戻っていくと、wさんんが待ちかねたように言いました。

 

「どうでした?」

 

私は、寺務所から言われたことをそのまま伝えましたが、(あの者はなんの

権限もない)というくだりは省きました。

 

「そうですか。まあ、とにかく臨機応変にやればいいんですよ」

wさんんは若干勢いをなくした声で言うと、庫裡(くり)の方へ歩いていきました。

 

これで何とか一段落、と私は思いました。でも、そうはいかなかったのです。

 

 

その後、二人して境内の落葉を掃いていましたが、少しして私はふと辺りを見回しました。

いつの間にか藤原さんの姿がありません。

 

(そろそろ休憩だからタバコでも吸いに行ったのかしら?」そう思っていると

地下に下りる階段の辺りから話し声が聞こえます。

 

その声は次第に高くなったかと思うと、怒気を含んだ声で叫ぶように響いてきます。

 

「だから仕事のマニュアルを作って下さい、と言ってるんですよ!マニュアルを!」

確かに藤原さんの声です。

そして相手は社長だと思いました。

 

お昼過ぎ、私の携帯に制服のことで電話があったのですが「藤原さんのも新しく作るのでサイズが知りたいから電話をくれるように言って下さい」という伝言があったのでした。

 

それを告げると「後で電話します」と藤原さんは言っていました。

 

それで彼は電話したのだと思いますが、なんだか様子がおかしいのです。

 

えらい剣幕で社長に突っかかっていた藤原さんは、電話を切ったらしく境内に上がってきましたが、ふらふらした足取りで辺りを行ったり来たりしながら声をあげているのです。

そして地面に倒れこんだと思うと、また立ち上がって、ウオーと吠えるような奇声を上げるのです。

狂っている、としか思えません。

 

「藤原さん!どうしたの?」

何があったのか分かりませんが、このお寺の境内で・・・。

 

でも私が何度声をかけても錯乱したかのように「ああー、ああー」と声をしぼりだし、ふらふら歩いては地面に倒れる、この繰り返しです。

 

「ねえ、何があったの?藤原さん!藤原さん!」

 

すると、私の声が耳に入ったのか彼がうわ言のように言いました。

 

「みんな私が悪いことになっている。とんでもないことをしてくれたね

って、みんな私が悪いことなっているーーー」

 

とぎれとぎれですが、そんなふうに言っています。

 

(いったいどういうことなんだろう?

 

そう思った時、案内所から責任者の女性が足早にこちらへ向かってくる

のが見えました。

 

参拝客の姿がないのが幸いですが、これは大変なことになった・・・。

 

「藤原さん!藤原さん!」

 

私は身も世もなく狂人のように吠え続ける藤原さんの名をただ呼び続けました。

 

                                つづく          

 

この続きは、最終回③冬紅葉(ふゆもみじ)で、クリスマスのころに公開予定です。

良かったらまたお立ち寄りくださいね!

 

長いのをお読みいただき有り難うございました。

 

 

                  

【思い出の場所・高台の寺】①岐路

お題「思い出の場所」

 

紅葉(こうよう)の綺麗な季節になりましたね。

 

家の近くをすこし歩いただけで、黄色く色づいたイチョウ

赤や褐色の紅葉が目を楽しませてくれます。

 

私はこの時期になると、必ず頭に思い浮かべる場所があります。

 

それは「東京の山の手にあるお寺」です。

 

これから書くお話では、お寺の名称、場所など詳しいことは控えますが

一度は書き止めておきたい思い出の場所です。

 

久々にひいた風邪がやっと抜けて、元気になった12月の或る日

私は電車に乗って20分くらいで着く、その地に降り立ちました。

 

正午を少し過ぎたころで、お昼を食べに行くのでしょうか。

街にはスーツ姿のサラリーマンたちが行き交っています。

 

通りには中華の店、お寿司屋さんのランチ、イタリアンなど様々な食事処あり。

 

車や人で賑わう町中をしばらく歩いて行くうち、目的の坂が見えてきました。

 

閑静で瀟洒(しょうしゃ)な住宅地の坂を上っていくと、いつの間にか街の喧騒

は消え、やがて高台にある山門が目に入りました。

 

私は一礼して中へを入りました。

 

 

私が初めてこの浄土宗のお寺を訪れたのは、今から約十年前です。

 

その後、今日までの間に何度か訪れていますが、この日もいつものように

境内は静まりかえり、色づいた落ち葉がそちこちに散っています。

 

私は感慨深く辺りを見回しながら正面に立つ本堂に向かいました。

 

ほんの短い間でしたが、時を経てもこのお寺でのことは、今も忘れがたい

記憶となって胸の中に残っています。

 

 

「岐路」

お話に入る前に、私がこのお寺へ来ることになった経緯について少し

話しておきたいと思います。

 

そのころの私は、長年勤めた会社を退職し自由の身になっていました。

まだ幼い息子を抱え、シングルマザーとして日々働き通してきた私でしたが

これからは何物にも縛られず自分の思い描いた道を行こうと、新たに決意

していた時でした。

 

そして夢に向かって踏み出した或る日、思いもかけない知らせがありました。

 

『別れた夫の死』

 

それは私達母子にとって衝撃的なことでした。

 

別れてから何年かは経っていましたが、夫からは定期的に息子に連絡があって

食事などをしていました。

でも、ここしばらく連絡はなく、また息子の方も学業とアルバイトで忙しい

日を送っていました。

 

そして私も、自分の今後の計画でいっぱいでした。

 

そんな状況下での夫の訃報。

私は自責の念に苛まれました。

 

一人孤独に亡くなってしまった彼、何故、具合が悪いと一言連絡して

くれなかったのだろう?

いや、何故こちらから連絡しなかったのだろう・・・。

 

例えどんな苦境にあっても人に頼ることが出来ない人だった。

だからそんな彼に寄り添えるのは、私と息子以外にはいなかった

と思う。

 

何故?どうして?

何度、自問しても悔やんでも、もう彼は二度と手の届かないところへ

行ってしまったのです。

 

彼との出会い、楽しかった日々、そして結婚と別れ、それらが走馬灯のように

頭を巡ります。

 

これまでの人生で、大抵のことは乗り越えてきたつもりでした。

でも今度ばかりは、どうにもならない取り返しのつかないことが

起こってしまったのです

 

私の中から自分の夢を叶えようという思いが急速にしぼんでゆきました。

 

そして彼の葬儀を済ませて少し経ったあと、私は自分の計画とは全くかけ離れた

道を歩いていました。

 

何とかこの砂を嚙むような状況から抜け出したい、何かしなければ。

そう思う或る日、新聞に入っていたチラシを見て私が衝動的に応募したのは

新聞の集金人でした。

 

何も考えずに飛び込んだ仕事、それは思ったより大変でした。

集金に行っても不在の家が多く、何度も足を運ばなければなりません。

 

私は、朝、昼、晩と憑かれたように一戸建てやマンションを駆け巡って

集金しました。

動いて自分を疲れさせれば、亡くなった夫のことを少しでも考えずに済むのでは

ないかという気持ちでした。

 

そしてしばらく経った冬の朝、私は2度目に起こった正体不明の発作で

救急車で運ばれました。

 

そして様々な検査を受けた結果、冠攣縮性(かんれんしゅくせい)狭心症

の疑いあり、との診断を下され、ニトロを渡されました。

 

「お母さん、もう頑張らないでいいから休んで。これからは僕がお母さんに

時間をプレゼントするから、家でゆっくり好きな事をしたらいいよ」

 

息子が私の枕元でそう言った時、私の身体からスーッと力が抜けていきました。

息子は大学を卒業し、社会人になっていました。

 

そんな経緯があって、私はしばらく家で静養していましたが、幸い発作は起こらず

狭心症の薬、ニトロを飲むことはありませんでした。

 

息子の言葉を有難く受けとった私ですが、少し回復するとあまり無理のない

仕事を週に何日かやってみよう、とハローワークに通いだしました。

 

そして或る日、求人票の中から目に留まったのが、境内の「落葉掃き」でした。

 

(こんな仕事があるの?)

 

好奇心にかられ、詳細を見ると週二日、一日二時間位とあります。

ただ、私の住まいからはかなり遠い場所にあるお寺です。

 

でも、この求人が一つのヒントになりました。

私は他にもどこかのお寺で、似たような求人広告を出してはいないか

窓口に聞いてみました。

 

そして結果は幾つかの求人先を紹介され、行くことになったのが

山の手にある高台のお寺でした。

 

仕事は週3日、9時~4時。

お寺の清掃を中心に、法事、催事などの手伝いです。

(私が興味を引かれた落葉掃きも、きっとあるにちがいありません)

 

その時の私は、出家とまではいきませんが、今の自分の心境にちょうど見合った

仕事が見つかったと、ホッとする思いでした。

 

こうした経緯があって、私は「お寺」という思ってもいなかった場所で

仕事をすることになりました。

 

考えてみると、若い日に好きな音楽をやりながら気ままに過ごし、そのままの人生を

全うするかに思えた自分でしたが、やがて家庭を持ち、そして破綻し、さらに今度は

人生の一時期を深くかかわって共に過ごした人との永遠の別れ。

 

「人生には明日何が起こるかわからない、全く予測不能のシナリオが用意されている

と思わずにいられません」

                                 つづく

 

「思い出の場所」というタイトルを頭に書きだしましたが、少し長くなりそうです。

 

この先は②落葉を掃く、に続きます。

 

1週間後位には公開したいと思います。

宜しければ、またお立ち寄りくださいね!

 

 

 

【辛い風邪、救ってくれたのは林檎】

こんにちは。

しばらくご無沙汰しました。

 

もう何年ぶりになりますか、私は不覚にも風邪を引きダウンしていました。

 

十分気をつけていたつもりですが、風邪って本当に油断がならないですね。

 

今回は、喉が少しずつ痛くなり倦怠感と共に微熱が出て、最後に恐れていた身体の節々が痛くなりました。

 

ここまで来るともうダメです。

 

起きて何かしようという気にならない。

 

病院に行く元気もないので、近くの薬局で買った喉の薬ともう一種類を飲み

横になったままひたすら悪い菌が去ってくれるのを待ちます。

 

私の場合、なかなか風邪は引きにくいのですが、いったん引くと全身にきて長引くのです。

 

身体の全体的な不快感から、普段のような食事はとれませんでしたが、それは

あまり気になりませんでした。

 

この際、身体をカッラポにして悪いものを少しでも外へ出すことができれば

それもよい、風邪にかかったことでプチ断食をしてみよう。

 

そう思った私は、とりあえず水分をとり、リンゴを一切れ口の中へ入れました。

 

 

ジュワーッと甘酸っぱさが口いっぱいに広がり、そして胃の腑に沁みていきます。

「なんておいしいの・・・」

 

一切れのリンゴに命が蘇るようです。

 

私は、その味を噛み締めながら、以前断食に行った時のことを思い起こしました。

 

 

会社に勤めていたころですから、もう10年以上前になります。

行った先は、成田山にある新勝寺

 

成田山新勝寺

千葉県成田市、成田にある真言宗智山派の仏教寺院で、同派の大本山の一つ

であり、不動尊信仰の総府として知られている。

平安時代の中期、天慶3年に弘法大師空海が開山。

1000年以上の歴史を持ち、年間1000万人を超える参拝者が訪れる、関東最大のパワースポットの一つ。

広大な境内には数々のお堂の他、自然豊かな公園がある。

 

そんな恐れ多いところで、お正月に三日間のプチ断食ができるというのを何かで見たのです。

以前から静岡でプチ断食ができる場所があるのを知って、一度は行ってみたいと思っていましたが、お寺なら尚更行ってみたい。

 

張り切って向かうと、まず新勝寺の荘厳なお寺の中で受付を済ませ、簡単な説明を受けたあと別棟の和室に通されました。

 

見ると、布団がいくつか敷き詰められた部屋には(物好きな?)女性が何人か横たわったり、本を読んだりしています。

 

皆さん学生っぽい人から3、40代くらいの人達ですが詳細はわかりません。

最初に軽く会釈する程度で、その後も会話はほとんどなし。

お寺という空間にいるせいか、どことなく修行僧の修練場的な雰囲気があり

沈黙のみが支配しています。

 

それは良いとして内心驚いたのは、今回の断食三日間、水だけの生活をすることでした。

静岡ではフレッシュジュースなどが出ていたようですが、こちらはそうしたものは一切なし。

 

(それで皆さん、動く気力もなくじっと部屋にいたわけか・・・)

 

しかし、もう後戻りはできません。

私はとりあえず外に出て、広大な公園を歩いてみることにしました。

自分たちがどう過ごすか、に関しては自由です。

 

東京ドーム、約3個分に及ぶという広大な公園。

ここは梅から始まって、桜、藤、菊、紅葉と四季折々に風情が楽しめるといわれています。

そして、成田山書道美術館があり、他では見られない展示物の数々があります。

 

でも、その時の私はざっと回っただけでそれらを楽しむという余裕はありませんでした。

改めて思ったことですが、私は断食に来た身で物見遊山にここまで来たのではありませんでした。

先に来ていた人たちの気持ちがいくらか分かってきたと同時に、早くも空腹の辛さが襲ってきました。

 

散策を切り上げ部屋に帰り、水飲み場で水を飲みますが満たされません。

私は為す術もなく布団に横たわり目を閉じました。

 

そして明けて2日目。

今日は、お寺を出て街へ行ってみようと思いました。

 

外に出ると、まずお正月の出店が長く軒を並べています。

私は一軒一軒店先に並べてある土産物や食べ物を見るともなく見て歩きました。

 

すると「試食品」という文字が目に付きました。

それが漬物だったか、何だったか今となっては覚えていませんが

私は思わず、それを試食していました。

 

いけないことをしたような気持ちですが、私は歩きながら「試食品」という文字を見つけると自然に手を伸ばして、それを味わっていました。

 

「ああ、これでなんとかやっていける・・・」

私は罪悪感より、ほっと安堵する気持ちの方が強かったのを覚えています。

 

幾品かお腹に収めると何となく元気が出て、私は成田街道を町の方へと歩いていきました

ここは、今の新宿へ続く宿場町で昔から多くの人が行き来した街道です。

 

そして三日目。

私はまた出店のある通りへ出て、昨日と同じように罪悪感を感じながら

試食品を頂きながら歩きました。

 

恥も外聞も良心もありません。

(ああ、これでまた生きていける・・・)

 

こうして三日間の断食が終わった翌日、待望のおかゆが配られました。

 

何の変哲もない、ただのおかゆは身に染みるほど美味でした。

 

こうして私の新勝寺でのプチ断食は終わりました。

数日して出社の日になり、断食のことを親しい同僚のAさんに話すと

彼女は私を見つめ微妙な顔をしました。

 

私は、断食で約3キロ近く体重が落ちていたのですが、急激なやり方をしたためか

顔がどことなくミイラのような感じになっていたのでした。

 

今思うと、あの時は我ながら無謀なことをしたなと思います。

同じダイエットをするにしても、やり方は無理なく緩やかにやるのがいいですね。

 

ちなみにここ数カ月、私は炭水化物を摂り過ぎないことをモットーにしていたら

自然と2、3キロ落ちました。

 

そして今回、何年ぶりかで珍しく風邪を引き、数日間おかゆとリンゴなどの果物を

とっていたところ、更に1、2キロ減量。

 

現在、希望だった53キロに落ち着きました。

ちなみに私の身長は163センチ。

 

おなかの贅肉を減らし、降圧剤を使わずに安定した血圧を保つために

これからも食生活を本気で見直していこうと思っています。

 

それにしても、今回風邪でダウンして強く思ったのは、食べ物は何気なく摂るのではなく、出来るだけ吟味して大事に食べようということでした。

 

久しぶりの風邪で、リンゴの美味しさを真から感じました。

そして一杯のおかゆの有難さを身をもって感じました。

 

でも、出来ればもう二度と、風邪は引きたくありません。

 

皆様も寒さの折、十分気を付けてお過ごしくださいね!

 

 

 

 

【初冬(はつふゆ)に友と飲むのは黒霧島】

先日、友人のAさんと久々に会いました。

Aさんと会うとなれば、やはりお酒がつきもの。

 

ここしばらくはAさんの家に料理を持ち寄ったり、彼女の手作り料理をご馳走になったりしていたのですが、今回はおいしい焼き鳥ともつ煮込みが食べたいね、ということで外で会うことになりました。

 


Aさんは私が以前勤めていた会社の同僚で、私が辞めた後もそこで働き続けています。

 

新潟出身の彼女は、私が親しく付き合ってきた友達の中ではダントツにお酒が強い人。

 

私がまだ勤めていたころは、何かあると「ちょっと寄っていこう」と仕事帰りに二人して居酒屋ののれんなどをくぐっていました。

 

そして、一杯が二杯、二杯が三杯となって・・・いつの間にか時間をわすれ、あとは野となれ山となれ。

 

しかし、今の私はそんな生活から足を洗って堅気になった身(はて?)

 

自分の中では、かなり生活の変化を感じています。

 

具体的なことを言えば、ここ何年夜になって出かけることは数えるほど。

そして好きだったお酒も、ほとんど飲まなくなって身体第一主義で静かに過ごしています。

 

そんな私が酒豪のAさんと外で飲むなんて大丈夫かしら?

一、二杯飲んだとしても具合が悪くなって持たないのではないか?

 

内心そんなことを心配しながらも、髪型、化粧、衣装を等身大の姿見でしっかりチェックした後、私はいそいそと待ち合わせ場所へ出かけていきました。

 

待ち合わせは、お店の前で午後4時半。

 

夜はほとんど出ていないという私を気遣って、Aさんは店の開店時間が早い店

を選んでくれたのでした。

 

焼き鳥ともつ煮込みが美味しいというお店の前で待っていると、Aさんは仕事用のスーツをラフな私服に着替え、ヒールをスニーカーに履き替えてニコニコやってきました。

 

平日ですから、彼女はその日も仕事だったのです。

 

私が元働いていた会社は、私も彼女も営業職なので直行、直帰OK、きちんと

ノルマを果たして仕事していれば、かなりの自由が利きます。

 

まだうっすらと夕日が射す通りから、私とAさんはビルの2階にあるお店へと向かいました。

 

広すぎず狭すぎずという店内にはすでに二組のお客があり、厨房からは美味しそうな匂いが漂ってきます。

 

私たちは落ち着けそうな隅の席に向かい合って座りました。

 

二月の寒い頃に会ったきりのAさんとは、8カ月ぶりですが話し込む前に

まずは飲み物と料理を注文です。

 

「ええーと、とりあえずはビールからいく?」

「そうね。つまみは焼き鳥ともつ煮込み、それから野菜物はサラダを何か頼もうかしら」

「そう、サラダは食べたいわね」

お互いの好みが分かっているので話が早い。

 

ビールの銘柄もいろいろある中から、黒ビールのラガータイプで決まりです。

 

店は焼き鳥市場というだけあって頼んだ焼き鳥はどれも美味しく、又煮込みも柔らかく味が染みてホッコリ。

 

そしてサラダは、特にドレッシングがさっぱりしていて、Aさんも私も大満足。

 

(画像は例によって、すっかり撮るのを忘れてイメージ画像です)

 

ビールを飲みながら最初に注文したものをかわるがわる食べすすめる頃には

「果たして、お酒がちゃんと飲めるだろうか?」という私の心配は吹き飛んでいました。

 

Aさんよりも早くビールを空けた私は、次の飲み物を探します。

 

「次はやっぱり焼酎のお湯割りかしらね・・・アッ、黒霧島がある」

「じゃあ、それいく?」

「そうね」

 

 

焼酎は、ずっと以前は『いいちこ』でしたが、次に『二階堂』になり、そのあとは『黒霧島』です。

あとは、一時愛読していた西村賢太(故人)さんが飲んでいた宝焼酎をしばらく飲んでいたこともありました。

 

 

元々は何といっても日本酒が好きで、いまごろの季節になると、Aさんと飲むときは必ず熱燗がメインでしたが、今はさすがにそれだけは避けたい。

 

日本酒は飲み過ぎると、記憶が飛んでしまってとんでもないことになりかねません。

日本酒は怖い、だから無難に焼酎のお湯割りです。

 

そうしたわけで、飲み物は黒霧島、料理は明太子とチーズのコラボ、そしてウナギを卵で巻いた鰻巻きを頼みます

 

Aさんとしみじみ会話を愉しみながら飲んでいると、隣に男性客三人と女性一人のグループが座わり、一人の男性客が大声で話し高笑いするのが耳につきます。

 

でもAさんは、あまり気にしていない様子。

 

(そういえば、私たちも会社帰りに似たようなことをやっていたな、仕事から解放されてついはしゃいでいた。だから気持ちはわかる・・・)

 

とは思っても、せっかくの楽しい時間、このまま隣のグループを気にしながら飲むのも落ち着かない。

 

「どう?そろそろお開きにして次行く?」

私は言いました。

 

ちょうど私もAさんも大きなカップにたっぷり入った黒霧島の2杯目を飲み終わるところでした。

 

「そうね、そろそろ行こうか。焼き鳥の塩加減も焼酎のお湯割りも丁度いい感じだったわね」

Aさんは満足げに言いました。

 

 

私達がお会計をして店を出た時は、19時過ぎ。

まだ日が落ちるか落ちない頃に会ったのに、いつの間にか時は過ぎ、街には闇が下りてキラキラ夜の装いです。

 

Aさんと私は予定通り、最後はコーヒーで〆ようと近くのカフェに入りました。

 

詩吟友達のBさんとは、彼女がお酒は飲まないのでカフェばかりですが

Aさんとコーヒーを飲むのは珍しいことです。

 

今日のスケジュール、酒豪の彼女にはちょっぴり物足りなかったのではないか?

そう思う一方で、私には十分でした。

 

夜、外でお酒を飲むなんて、すっかり遠のいていたけれど、飲めば飲めるんだ、という

変な自信がつき、次はAさんと新宿のゴールデン街にでもぶらっと行ってみようか

あそこは今、どうなっているんだろう?などと突然発想が飛ぶ。

(やっぱり少し酔っているのかも・・・)

 

そして最後に思うのは、Aさんとは会ったらあれも話そう、これも話そうと思っていたのに、ただ一緒に飲んだり食べたりするだけで楽しく時間が過ぎていった、ということでした。

 

(やっぱり長い友人ってそういうものなのかもしれない・・・)

 

居酒屋の喧騒とは異なる静かなカフェに、Aさんとコーヒーを飲みながら

そんなことをしみじみ思う冬の夜でした。


                            画像引用:フオトAC