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幸せな人生を送るために書くブログ集

【春風(しゅんぷう)の中に想うこと】

雨降って風吹き、そして春は来る。

 

3月も半ばに入り春はもう、まじかですね。

東京都心の開花宣言は3月21日だそうです。

 

なんとなくワクワクします。

これまで寒さで心身が抑えられていたのが、いちどきに解放されるような気持。

 

それにしてもこの時期、春風(しゆんぷう)が吹きすさびますね。

その中で私は、もう1年経ったんだな・・・と時の流れを想います。

 

去年の3月末、右足が不意に動かなくなってから整形をあちこちさすらった。

通っていた詩吟教室をやめ、友人達ともほとんど会わなくなる。

そして足が悪いのに、手まで怪我をして炎天下をしばらく病院通いしたこと。

 

そのまま信じるわけではないけれど、私の去年1年間は占いにあったとおり真冬、真夜中だったのかもしれない。

 

でも、それは去って行った。

春風(しゅんぷう)の中に新たな息吹を感じる今、私もまた生まれ変わっていくように思う。

 

 

◇リハビリ

 

今は最後にたどり着いた病院でリハビリを続けています。

担当者のアリサさんと、美味しいラーメン屋さんを紹介しあったりしながら。

 

とても小柄な人だけど、きびきびして元気いっぱいな人!

リボン体操か何かしていたのかな?と思って聞くと、サッカーをやっていたとのこと。

 

そしてPT(理学療法士)になったのは、少しでもスポーツの分野に関わっていたかったからと言った。

そういえば、ここのリハビリ科はスポーツ選手のケアも多いと聞く。

また、その他様々な病気で入院したり、手術した患者さんのリハビリもするというから大変だと思うが彼女はいつも明るい。

 

私のリハビリは、弱い部分の筋肉を強化するストレッチをしたり、マッサージを受けたりして訳40分で終わる。

 

次の予約を取って部屋を出る時は、全身がうっすら汗ばみ心地よい充足感がある。

 

 

先日リハビリの帰りに近くの桜並木を通ったところ、桜はほぼ満開に近い咲きっぷり。

その後、花屋さんの店先に勢ぞろいした可愛らしい花たちを眺めながら帰る。

 

               桜のトンネル

 

               春の小花たち   

 

 

◇詩吟と詩吟友達

 

身内に不幸があって、しばらく会えなかったB子と近いうちに会う約束をしました。

 

彼女とは詩吟教室で親しくなり、教室の帰りにはいつも喫茶店でコーヒーを飲みながらおしゃべりした人でした。

 

以前、私と同じ変形性股関節症を患って、2年ぐらいかけてやっと普通に生活できるようになったそうで、それもあってか私の足のことを親身になって心配してくれます。

 

彼女とは、短い期間だったけど毎週、詩吟教室で学び、一緒に昇段試験も受けたりと、楽しい思い出があるので話が弾みます。

 

共に仕事をし、苦楽を分け合った友人は格別だけど、趣味やお稽古事で机を並べ親しくなった人もいいものですね。

 

会うのは今年になって初めてなので楽しみです。

 

着ていくものはもう決まっています。

1年前にB子から教わったおしゃれな店で買った薄手のコート。

これは足を悪くしてから一度も着ずにクローゼットに眠ったまま・・・。

 

ワンピースとして作られたものだが、コートとしても着られるというものでデザインが気に入っている。

 

麻なので少しよれっとていますが、こんな感じです。

 

 

B子に会う3月20日は春分の日。でもその日はあいにく、寒の戻りがあり肌寒くなりそうなのです。

 

また出番がない時は、詩吟のステージ衣装として着ようかな、と思う。

早くそうした日がくるといいのですが。

 

 

ではこのブログの最後に、春の代表的な詩吟を一つ御紹介したいと思います。

 

                イメージ画像

 

胡隠君(こいんくん)を尋(たず)ぬ  高啓(こうけい)

 

    渡水又渡水

    看花還看花

    春風江上路

    不覚到君家

 

 

水(を渡り 復(ま)た水を渡り

花を看(み)還(ま)た花を看(み)る

春風(しゅんぷう) 江上(こうじょう)の路((みち)

覚(おぼ)えず 君(きみ)が家に至る

 

《通釈》

川を渡り、又川を渡り、いくつもの川を越えた。

そして次々と花を眺めなら、春風の吹く川沿いの路を歩いた。

そうしているうちに、いつのまにやら君の家にたどり着いてしまった。

 

 

高啓:明時代を代表する大詩人・夏目漱石がこの高啓の詩の愛読者だったという説がある。

この詩は、作者が友人の胡という姓の隠者を尋ねた時の詩。

(隠者とは俗世を避けて故郷や山里に隠れる知識人のこと。達観した高潔な人物として、世の人々から敬われる存在)

 

高啓は当時、明帝からの高官を拒んで故郷で隠遁者に近い生活を送っていたといわれる。

詩が作られた場所~蘇州、江南の美しい水郷の町。

イメージ画像

 

こんな風にしてはるばる行って、作者は友人には会えたのでしょうか?

いえ、隠者にはなかなか会えないというのが漢詩の世界にはあるようです。

 

いつ行くと約束したわけでもないので、友人は必ずいるとは限らない・・・ということのようです。

 

えっ!でもそれじゃあ、長い道のりをせっかく行ったのに?と思いませんか?

それに高啓はちゃんと約束を交わしていたかもしれません。

 

会えたか会えなかったか、その辺のことは分からずじまいですが、私の想像では実際には最終的に友人と会えて楽しくお酒を酌み交わしながら話に花が咲いた、と思いたいです。

 

詩のみで音声が載せられないのが残念ですが、ご興味のある方は『胡隠君を尋ぬ 漢詩』で検索→関西吟詩文化協会のホームぺージに入ってください。

 

漢詩紹介の下に音声があるので「▶」で再生できます。

 

春の日がゆったりと注ぐ川面と、匂うような花々の姿が目に浮かんでくるような透明感のある曲です。

 

また巡ってきた出発の春、気持ちも新たに過ごしてゆきたいと思います。