このところ暖かな日が続いていますが、まだ2月。
いつ肌寒さが戻るか、油断はできません。
と、思っていたところ、案の定、急に天候が崩れて小雨続きの毎日。
書き進めていたブログのタイトルに似合わない空模様になってしまいました。
でもせっかくなのでそのまま続行!
先日、友人宅を訪れた日は春が来たようなポカポカ陽気でした。
前の日に作り置きしたぶり大根、そして当日、朝食後に作ったいなり寿司、卵焼き、明太子(おにぎり用)などを持って正午少し前に家を出ました。
付き合いの長いÅ子と会うのは何カ月ぶりです。
自転車で行けばさほど遠くないのに、私の体の不具合などもあってしばらく遠のいていたのでした。
やがてマンションのエレベーターを降り、A子の部屋の前まで行くといい匂いがしてきます。
料理上手な彼女は「煮物とサラダを作っておくからね」と言っていました。
チャイムを鳴らすと「はーい!」と声がしてドアが開き、エプロン姿のA子がにっこり。
「こんにちは!」
私は微笑み返しながら、つくづく思った。(彼女ってどうしてこんなに満面の笑みを浮かべられるのかしら?)
A子は私が以前勤めていた会社の同僚で、一時期、様々な苦楽を共にしてきた人でした。
普段もですが、会社の催し事などでスナップ写真を撮る時も、しっかりと口角を上げて笑顔で写っています。
反対に私は、写真を撮る時に笑うのは苦手。
自然体なら「あははは!」と高笑いするけど、写真の時はちょっぴり唇が動くだけ。
とにかく、彼女と私はいろいろ異なる点がありながらも、何でも話し合える仲だ。
二人の共通項を上げれば、離婚歴がありずっと独身のまま。
そしてお酒が好き、おしゃれや楽しいことが好き。
そんなことから親しくなって、私が会社を辞めた後も延々つきあっている。
お互いの手作り料理がテーブルに並んだところで、小宴会が始まりました。
「あなた、ぶり大根なんか作ってきたのね。いなり寿司も、すごい!」とA子。
「あなたのサラダも煮物も美味しいそう。相変わらずやるわね!」
お互い褒めあって「米自慢」という焼酎のお湯割りを口に運ぶ。
今も会社に勤めているA子は、晩酌を欠かさないというが、
胃弱であまり飲まなくなった私は、帰りのこともあるので淡い芳香を味わいながらゆっくりと飲む。
積もる話は沢山あって、あっち飛びこっち飛びして、結局は前の会社の話になった。
「あの人どうしてる? Yさん・・・」私の問いに、
「そうね、ちょっと瘦せたわね。健診で引っかかって少しは気にしてるんじゃない、身体のこと。でも性格は、相変わらずよ」
「へーえ、そうなんだ。やっぱりね・・・」
大柄で丸々とした豊満なYを思い浮かべながら私は頷く。
そして、A子がトイレに立ったところで過去のことを思い返した。
◇
私が入社した時、先輩格のYはまもなく「Ⅿちゃん、Ⅿちゃん」と私に話しかけてくることが多くなった。
だが、彼女の評判はすこぶる悪く(恥知らず、横暴、嘘つき、目的のためには手段を選ばない)など、ひどいものだった。
しかし私は彼女から特に被害を受けた経験もないから、敵視する理由もなく、
しばらくは流れのままに付き合っていたが・・・。
入社して3年目に入った頃、あることが起こった。
私が離婚後、シングルマザーとなって勤めたのは、企業の経営者や従業員を対象とする保険会社の営業職だった。
20代の前半から結婚するまで、音楽畑で仕事してきた私にとっては初めての会社勤め。
まして営業の仕事など、全く考えたこともない世界だった。
だが入ってみると、好奇心の強い私には新鮮で面白い場所だった。
ノルマには追われるが、契約次第で給料が決まり、大口を射止めれば、普通の事務職では考えられない報酬が得られる。シビアだがやり甲斐のある仕事だともいえる。
また、法人が対象なので、他の個人向けの保険会社のように夜間にかかることはほぼない。
課長や上司の同行がたまにはあるが、一日のスケジュールも、何処へ行くのも決めるのは自分。
私の性分に合っていた。
離婚後、何かと援助してくれる母がいたが、まだ小さい息子と自分のために、私はここでしっかり生活基盤を築いていかなければならなかった。
ある日曜日、私は資料作りのために会社に行った。
転勤してきて間もない若い課長とYさんがいた。
彼女が休日に出てくるのはいつものことだった。
負けず嫌いで貪欲な彼女は、晴れた日には、このビルの遥か彼方に見える日本一の富士山のように、自分がこの業界でいつか頂点に立つことを目指していた。
「あらⅯちゃん、ご出勤!」
私ににっこり笑いかけたあと、彼女は再びパソコンに向かう。
趣味で合気道をやっているという課長に、ときおり話しかけながら。
それからしばらく経った頃だった。
ふと顔を上げると課長の姿がなかった。
と、携帯が小さく鳴った。
「もしもし、Ⅿさん、すぐ下りてきてください!S社の件、Yさんに知られてしまいましたよ。1階の正面玄関にいますから急いで!」
課長の緊迫した声。
Yに視線を向けると、支社長が普段使っている机の前で、何か書類を手にじっと眺めている。
私は素早く机のものを片付け、フロアの外へ出た。
1階の正面玄関に課長が立っていた。
「大変なことになりましたね。あのYさん何をするかわかりませんよ」
「でも、知られてしまったら、仕方ないわ・・・」
私は蒼ざめた課長に言った。
「Ⅿさん達観しているんですね。でも、この件で彼女はきっとⅯさんをいじめにかかってきますよ。僕、それが心配なんですよ・・・」
それは私も分かっていた。
彼女はもちろん激怒するだろう。
でも、今更どうすることも出来ない・・・。
私は考えに考えた上で今回のことをやったのだから。
今回のこととは
私は少し前に、S社という既契約先から新しい契約をもらっていた。
今は退職した職員から「よかったら行ってみて」と渡されたリストを廻っているうち手にした契約だった。
対応した社長の奥さんは、提案した新商品を気に入ってくれ、すぐに話はまとまったが、古いものを解約したいと彼女は言った。
確かに小さな会社だし、退職金準備を兼ねた新規の契約5000万があれば、奥さんの希望通り古い契約は見直してもいいかもしれない。
だが、奥さんの話を聞いているうちに、私は考え込んだ。
その古い掛け捨ての契約1000万は、私にリストをくれた退職者の扱いだったが、その際、あのYさんが一緒に来ていたというのだ。
そして、彼女は担当者が退職した後も何度か訪れ提案してきたが、断ったという。
「ああいう、ちょっと強引な方はなんだか苦手ですね・・・」
人の良さそうな奥さんは言った。
古い契約の書類上にYの名前は出ていないが、彼女が何らかの意味で間接的に関わっている可能性はある。
Yは新人に力を貸すという名目で同行し、契約が決まればその一部、もしくは半分もらうという話を聞いた。
入社して3年目にもなれば、彼女の悪行の数々がわかってきた。
私の同期の一人は、自分の税理士を盗ったと散々苛めぬかれ1年で辞めていった。
Yにかかると少しでも自分が訪問した顧客や税理士は、自分のものらしい。
そこに新人がからみ、契約を上げようものなら彼女のプライドが許さない。
だが、他人が苦労して契約に漕ぎ着けたものを横取りするのは朝飯前なのだ。
私が定期的に通っていた会社で、そろそろ契約の話が出始めた頃、Yは「あの人はもう別な地区の担当になりましたよ」と偽情報を流し、私には「しばらくあそこへは行かないで。悪いようにはしないから」と訳の分からないことを言った。
そして「この世界持ちつ持たれつよ!」と言ったが、なんじゃそりゃ!?
そんな彼女にどう対処するか?
今回の件すべて話すか?
黙って自分の思うように進めるか?
私は、奥さんを前にして逡巡した結果、独断で進めることにした。
契約が済んだあと、課長には書類をできるだけ早急に処理してほしいと伝えた。
課長にはその理由が暗に伝わったが、支社長の机の上に無造作に置かれていた書類を
Yは見つけてしまったのだ。
今回に限らず、仕事上のいろんな情報をいち早く知ることにも彼女はたけていた。
私と課長は、足早にビルを出ると、駅近くのカフェレストランに入った。
席について間もなく課長の携帯が鳴った。
Yからだ。
課長と私はじっと息を殺して、切れてはかかってくる携帯音を聞いていた。
「Ⅿさん、ワインでも飲みますか?」
「ええ・・・」
私は少し笑ってうなずいた。
「課長、友達に突然会ったことにしたら・・・」
「そんな、だめですよ。こっちに友達なんていませんから・・・」
そうだ、課長はまだ転勤してきたばかりだったな・・・。
そのあいだ、止むことはなく携帯は鳴り続ける。
私と課長は為すすべもなく、運ばれてきたワインを口に運んでいた。
まだ知らずにいたが、私が足を踏み入れた世界は並の場所ではなかったのだ。
(後編に続く)