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幸せな人生を送るために書くブログ集

【思い出の一曲・黒い瞳のナタリー】

 

新しい年も松の内をすぎ、ここ関東では急に冷え込むようになりました。

 

私は病院に通い始めたり、いつもの品揃えに戻ったマーケットで食料品を買ったりして当たり前の日常を送っています。

 

でも冬枯れの季節のせいでしょうか?

 

葉っぱをすっかり落としたオブジェのような木々や、寒空を飛ぶ小鳥たちを眺めていると、何か物寂しい気持ちになります。

 

自転車で出かけた時は、たいてい練習がてら詩吟を歌っているのですが、近ごろ『黒い瞳のナタリー』をよく口ずさんでいます。

 

フリオイグレシアスが唄って大ヒットしたこの曲は、ロシアのジプシー歌謡を代表する『黒い瞳』をサビの部分に取り入れたものですが、初めて耳にした時から今も大好きな曲です。

 

フリオイグレシアスが自作の歌詞をつけて「ナタリー」と題する佳曲に生まれ変わりました。別れ別れになってしまったナタリーという女性を思ってうたわれる愛の歌。情感を込めて「ナタリー」と繰り返される呼びかけが胸を打ちます。

 

では、フリオイグレシアスの甘く、それでいて哀愁と苦悩に満ちた歌声を聞いてください。

 


www.youtube.com

 

 

原曲のロシア民謡黒い瞳

この意味はロマ(ジプシー)の煽情的な魅力の象徴として用いられており、その魅力に取りつかれた男性の苦悩と激情がこの歌の主題である。

また旋律は、ロマ(ジプシー)の音楽に特徴的なハンガリー音階に基づいており、ロシアのジプシー歌謡を代表する曲、となっています。

 

この旋律はジプシーに特徴的なハンガリー音階に基づいている、とあるのを見て、私は

ハンガリー舞曲を思い浮かべました。

 

広大な大草原の情景が目に浮かぶ、力強く爽快な旋律のハンガリー舞曲もまた大好きな曲です。

ハンガリー人は、世界をあちこちさすらった後、今の土地に定住したとあります。

 

私はフリオイグレシアスの歌声だけでなく、ジプシー音楽特有の旋律にも強くひかれていたのかな、と改めて思いました。

 

     ◇

 

私は昨日、思い立って、ある場所へ行ってきました。

 

大分前のことになりますが、私は今の場所から自転車で2、3十分離れた町に住んでいました。

 

引っ越したあとも、以前は時折ブラッと行っていましたが、最近はしばらく行っていませんから久しぶりです。

 

川にかかる橋を渡って夕方近く向かいました。

 

 

やがて公園が見えてきました。

この公園の側の、住宅地の一角に住んでいました。

 

 

 

右側の松の木がある家は以前のままです。

他の家は建て替えたり?見当たらなかったり、景色が変わっています。

 

ここに住んでいる時、白い迷い犬が家の裏に住み着き、毎晩悲しそうに泣いていました。

近くに住む主婦が言いました。

「この犬はどこかの家に飼われていたのよ。とっても上品ないい顔をしているわ」

 

私は飼いたかったけれど、子供もまだ小さいし・・・見かけるとエサをやったり、頭を撫でたりして可愛がっていました。

そして近所の奥さんが言うとおり、とてもきれいな犬だったので『ナタリー』という名前を付けました。

 

その後、近くの奥さんがナタリーを飼ってくれることになり、私と息子はいつでもナタリーに会いに行って遊ぶことができました。

そんな時、ナタリーは真白な毛を震わせるようにして身体中で喜びます。

 

でも、少し経ったある日、ナタリーはいなくなったのです。

奥さんによると、一寸鎖を外したすきに走ってどこかへ行ってしまい、それっきり帰ってこなかったといいます。

 

ナタリーのことは写真にも撮って、アルバムに収めてあります。

動物好きの夫も、まだうちの周りをナタリーがふらふらしていた時、よくナタリーと戯れていました。

 

彼は真面目で優しい人でしたが、10年しないうちに私たちは別れてしまいました。

 

自分でも思っていたけれど、やっぱり私は結婚は無理な人間だったんだと思います。

鳥で言えば、一つの巣の中にじっといることが出来なかったのかもしれません。

 

知らない森にも行ってみたいし、きれいな湖のほとりにも遊んでみたい。

家庭はいつか檻と化して・・・私の生気を奪っていきました。

 

 

思い出の場所を久しぶりに訪れた最後に、別れた夫が住んでいたアパートを見に行きました。

ところがなんと、あったはずの古い二階建ての木造屋は、大きな一戸建ての家に建て替えられていたのです。

 

夫は、10年と少し前に病気で亡くなりましたが、私はふっと思い立っては彼が住んでいた二階の角部屋を眺めて帰るのでしたが、今は跡形もなくなっているのでした。

 

彼の生前、部屋を訪れた時、窓からは畑と柿の木が見えていて、いい部屋だと思ったのを覚えています。

彼が亡くなった時、本当に申し訳ないと思いました。

もっと私がやさしかったら、もっと辛抱ができたなら・・・

 

家族で住んでいた一戸建ての家は、私たちが破綻したあと、何年も経たないうちに取り壊されて新しい家が建っていましたし、これですっかり何もなくなってしまったのでした。

 

 

私は自転車を走らせると、夕日が落ちて仄暗い道を帰路につきました。

 

川面が潤んだように光る中『黒い瞳のナタリー』を歌いながら。