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幸せな人生を送るために書くブログ集

この人の生き方・世界が賞賛した孤高の美術家、篠田桃紅さん・墨に向き合った107歳の人生!

こんにちは。

ブログ百科ララの杏花です。

 

このブログを始めて半年が過ぎました。

暑くなったり寒さが戻ったりと、気候の変わり目だからでしょうか?

 

前に悪かった足・腰の不具合が出て病院通いをしたり、

次いでパソコンの不具合もあって買い替えたりと、

書く方がしばらく止まっていました。

 

体の不調は気長に付き合っていくとして、またブログ再開したいと思います。

 

今回はいつか書きたいと思っていた美術家の「篠田桃紅」さんのことを記します。

 

今から約2年前の2021年3月1日、篠田桃紅さんは老衰のため107歳の生涯を終えられました。

その知らせを耳にした時「ああ、とうとう・・・」と思いました。

 

私が篠田桃紅さんという方に強く関心を持ったのは数年前、

テレビ番組での事でした。

彼女は、映画監督の篠田正浩さんと対談していました。

 

篠田正浩さんは女優の岩下志麻さんの夫とは知っていましたが、

桃紅さんと従弟だったとは初耳でした。

 

そしてその時、桃紅さんは100歳前後だったと思いますが、

その物言いがとても歯切れよく所作は凛としていて、

私はすっかり惹きつけられてしまいました。

 

それから後、東京タワーの中にある水族館に行っての帰り、

近くにある浄土宗の七大本山の一つ「増上寺」へ寄った時の事です。

 

桃紅さんの作品が、中に展示されていたのです!

思いがけないことに、私はワクワクしながら作品を見て回りました。

 

墨で様々な線を引いたものは、正直言ってどこがどう良いとはわかりません。

「これはなんだろう?」というのが感想です。

でも篠田桃紅さんという方に更に不可思議な興味を持ったのは確かでした。

 

その後、「103歳になってわかったこと」などの著作を読み、

篠田桃紅さんが今も尚、現役で創作し続けていることを知りました。

 

 

住まいは東京、青山の自宅で一人暮らしをしていらっしゃること、

お手伝いさんが通いで来ている、などの情報も得ました。

そして何より文章力がすごい、面白い!

桃紅さんの著書を2冊、3冊と買い求め読みました。

 

彼女の歯切れよく思ったことをズバリという書きぶりは、

読んでいて清々しくなります。

 

そして前述のとおり、2021年3月1日桃紅さんは亡くなりました。

 

ちょうどそのころ、篠田桃紅展、「墨と100年・とどめ得ぬもの墨の色 心のかたち」(4月3日~5月9日)が横浜のそごうで開催される予定で、私は見に行くのを楽しみにしていました。

 

 

展覧会が開催されると、私は久しく行くことがなかった横浜へ向かいました。

 

館内には「水墨抽象画」という桃紅さんが確立した独自の作品が展示され、人々が静かに見入っていました。

 

白い空間には墨色、そして金や銀色を使った作品が展示され、どこか厳かな雰囲気が漂っています。

 

桃紅さんはいつか言っていました。

「自分の耳に聞こえる音を紙に墨で表したい。何が書いてあるか?なんて聞かれてもうまく説明できない。

ただ見て何かを感じてくれたらいいと思っています」

 

その言葉どおり、最後まで何が書いてあるのかはわからないまま、

私は作品展を見て回り展示場の外へ出ました。

 

そして入口のコーナーにあった〖これでおしまい〗という桃紅さんの出版されたばかりの本を買い求めました。

 

 

後にその鮮やかな紅色と墨色の表紙に包まれた本をひも解きながら思いました。

私は作品のことは正直いってわからないが、私は篠田桃紅さんという人間が、彼女が歩んだ人生が好きだったのだと。

 

その本の中には、篠田桃紅さんの全てが一つの作品となって内蔵されているかのようにずしりと手に重く感じられました。

 

現代の清少納言」と言われ優れた随筆家でもあった桃紅さんが、

折にふれ綴った「人生のことば」と彼女が歩んだ人生の歴史が密度濃く収められています。

 

では、それをご紹介する前に篠田桃紅さんの経歴をポイントだけまとめました。

 

《プロフィ―ル》

 

篠田桃紅・美術篠家

1913年3月28日 旧満州国大連で生まれる

本名:満州

 

1914年より一家は東京に帰り牛込に暮らす

父は江戸幕府以前から続く由緒ある旧家の跡継ぎ

父親の元には漢学者の頼山陽などの学者が教えに来る

5歳の頃から父の手ほどきで書を学ぶ

 

中国の古い詩にある「桃紅李白」という漢語から

「桃紅」の雅号を父より付与される

 

女学校の担任の書道家より書を学ぶ

女学校を卒業 大方の女性が結婚して家庭に入る中

書で身を立てるべく家を出て自活する

 

はじめての書の作品展を銀座・鳩居堂で開き

(才気間髪だが根無し草)と酷評される

 

戦後まもなく墨を用いた抽象表現という新たな芸術を切り開く

 

1956年単身渡米 ニューヨークの一流ギャラリーで作品の発表を続ける

世界的な評価を得て作品は国内外の美術館、海外王室、宮内庁

政府公共施設など数十か所に収蔵

 

2021年3月1日永眠

 

《著書》

 

『百歳の力』(集英社新書)『103歳になってわかったこと』(幻冬舎

『桃紅105歳好きなものと生きる』(世界文化社

『墨色』『その日の墨』(講談社)・大正から戦前の暮らしの美を伝える随筆集

 

 

桃紅さんの一生は戦争を挟み結核で兄や姉妹を失くし、

自身も病みながら奇跡的に治癒し、その後の人生を墨一筋に捧げた人生でした

 

また時代的に女性が自立して生きるのが難しい中、

一人自活の道を歩き独自の芸術を開花させた人でもありました。

 

結婚に関しては、この人とならという男性と不思議な出会いがあり、

一度は結婚を考えたといいます。

ですが、家と家の因習的な付き合いや自由のない窮屈な生活に、

自分は耐えられそうにないとこの結婚を断念します。

 

自分の亡きあとは「結婚をするように」という父親の遺言でしたが、

桃紅さんは一人自分の道を歩きます。

そんな桃紅さんの生き方を母親は見守ってくれたといいます。

 

若くして家を出て書を教えながら自活し、はじめて開いた作品展では

「根無し草」と酷評されますが、ただ古典を模倣するだけの書道界をはなれ、

墨象画という独自の書を切り開きます。

 

そして40代の前半で単身ニューヨークへ彼女は旅立ちます。

 

その後の桃紅さんは水を得た魚のように海外に活躍の場を広げていきます。

過酷な人生の後に彼女を待っていたのは、広く大きな世界の舞台でした!】

 

洋服より制約のないゆったりとした着物が好き、と言う桃紅さんは着物姿がとても似合う方でした。

 

 

桃紅さんの自分の心に忠実な毅然とした生き方、それは誰にでもまねできるものではないにしても、現代に生きる私達にも大いに生きるヒントと力を与えてくれるのではないかと思います。

 

では篠田桃紅さんの最後の本「これでおしまい」からその中の一部をご紹介します。

 

冒頭のことば

〖みんな誰だって一人〗

 

人は結局孤独。一人。

人にわかってもらおうなんて甘えん坊はダメ。

誰もわかりっこない。

 

人生は最初からおしまいまで孤独ですよ。

一人で生まれ、一人で生き、一人で死ぬんです。

誰も一緒にはやってくれません。

 

〖自由は人生をにぎる鍵〗

人は自由にどのように考えてもいいのです。

どのように考えてもいいどころではありません。

どのようにも考えなくてはいけない。

それが自分の人生を生きる鍵です。

 

自由な気持ちを持ち続けることは、

その人の人生を良く生きるコツだと思います。

 

よそから見る自分というもので生きない。

よそはよそですよ。

 

人生は自ら由(よ)れば最後まで自分のものにできる。

 

〖人は苦しむ器〗

みんな何かで苦しんで、何かで悩んでいる。

もう少しこうであればよかったと思っている。

 

人って、自分で自分に迷う道、迷路を作って生きている生き物よ。

迷わない道を作ればいいのに、みんな、迷う道ばっかりつくる。

作るっていうことが迷うことなの。

 

なんでも良いほうに解釈する。

良いほうに解釈して人に感謝していると、

自分自身も幸せな気持ちになれますよ。

愚痴もなくなるし。

 

幸せというのはその人の自覚ですから。

 

このあと、〖諦めて救われる〗、〖老いを受け止める〗、〖あらゆることをして悟る〗

と続きます。

 

桃紅さんが107年の年月を生きて、自ら肌で感じた言葉がここに凝縮されています。

 

様々な苦難を乗り越え自分の思う道を切り開いて人生を全うした孤高の美術家・篠田桃紅さん、もしよかったら読んでみて下さい!