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私の好きな一冊・中国の詩人「陶淵明」のユートピア物語「桃花源記」!

こんにちは。

ブログ百科ララの杏花です。

 

身体の不調で少しご無沙汰していますが、何とか元気です。

 

それにしても関東は暑い、いや熱いです!

梅雨とは名ばかりで連日の猛暑、外へ出ると熱気で焼け焦げそう。

午前8時には室内の温度計が30度をさし、日中の予想は34度~35度にまでなるというのですからたまりません。

 

でも、その酷暑の中に思い切って飛び込み自転車で20分はある病院へ行ってきました。足腰の不具合であちこち渡り歩いた結果行き着いたK整形外科、ここの先生の人柄がとてもいいんです。

 

脊柱管狭窄症がもとで、特に右側の足腰が痛む私に温存療法(薬やリハビリ)だけれど丁寧な対応をしてくれるのが分かります。

 

いろいろ症状を訴える焦り気味の私に先生は黒目勝ちの目を向けて穏やかに言いました。

「今は少し様子見ですからね。今の薬で徐々に痛みはとれてくると思いますから、あまり心配しないでね」

 

私は先生の言葉にとても気持ちが軽くなって帰路につきました。

手術でもしなければ、これといって革新的な治療法はないとわかっていますから、先生のこの対応でかなり癒されます。

 

昔から、とにかくやさしい人が好きでした。

とにかく明るい安村さんも好きですが笑

 

非常に単純な私は、酷暑も何のその心安らいで帰路につきました。

 

     ◇

 

帰ってくると、頼んでいた書籍がポストに届いていました。

 

陶淵明(とうえんめい)」、中国の詩人の本。

 

先日、詩吟の練習で教則本を開いていると「陶潜」別名「陶淵明」の漢詩が載っており、昔読んで感銘を受けた「桃花源記」の話が思い浮かび、すぐにネットで購入しました。

 

 

陶潜は通称、陶淵明(とうえんめい)で知られる中国の漢代と唐代に挟まれた六朝という時代を代表する詩人です。

 

彼がどんな人であったかと言いますと、陶淵明は長江の中流域にある廬山という山のふもとで生涯を送った人です。

 

一時期、勤めに出てそこを離れたことはありますが、一生の大部分は廬山のふもとの農村で過ごしました。

そのため、田園詩人、自然詩人、隠逸詩人と呼ばれています。

 

そんな彼は若いころ、仕事についてもすぐに辞めてしまい、役人生活と無職を繰り返し、40歳の時ついに束縛の多い役所勤めを辞めて故郷の村に帰ります。

 

そして官界を退いた後は、故郷の田園で貧しいながら悠々自適の生活を送ります。

それでも、俗世に分かれを告げたはずなのに、俗世のしがらみを超越したように見えるけれど、日々悩み続けている淵明です。

 

陶淵明は、その隠遁的な生き方こそ評価されたようですが、詩人としての評価は彼の死後数百年も経ってからのことでした。

彼の書いた作品が内容においても表現においても、時代の先端をいきすぎていたということのようです。

世俗から離れた気楽さはあっても生活はけして豊かではなく苦労は多かったようです。

 

そうした彼の代表作には『帰去来辞』(ききょらいじ)がありますが、これは人間本来の自然な生き方を模索したものです。

 

そして、今回ご紹介したい『桃花源記』、こちらは漁師が世間と隔絶した理想郷に迷い込む物語で、以前読んだ時の感想は、なんとも不思議な美しいお話だと、今でも記憶に強く残っています。

日本でいえばおとぎ話の世界、浦島太郎?でしょうか。

 

【あらすじ

陶淵明が生きた時代(晋末宋初)、武陵(現在の湖南省)という所に一人の漁師がいた。

渓流に沿って漁をしながら行くうち、どれくらいの道のりを来たかわからなくなってしまった。すると突然、桃の花の咲いている林にたどり着いた。

桃の花のかぐわしい香り、ハラハラと散る花びらが入乱れていた。

 

出典:photoAC

漁夫は不思議に思い、さらに進んで行き林を見極めようとした。すると、林は川の源の所で終わっており、そこに一つの山があった。

山に小さな洞窟があり、ほのかに光がさしているよう見えた。

 

漁師は舟を乗り捨てて洞窟から中に入った。初めはきわめて狭く、やっと人ひとりが通れるほどであった。が、さらに数十歩進むと、急にからりと開けた。

 

これがお話の序章ですが、このあと漁師は信じがたい光景を目の当たりにします。

 

そこには整然と並んだ家、良い田地や美しい池、桑や竹などがあり、道路は縦横に行き交い、鳥や犬の鳴き声が聞こえてくる。

その中を行き来し耕作している男女の服装は、まったくよその人のように見慣れないもので、老人も幼児もみな嬉しそうにそれぞれ楽しんでいる。

 

この後、漁師は村の人からどこからやってきたのかと訊ねられ、漁夫が詳しく答えると家に招いて酒を用意し鶏を殺してもてなしてくれた。

そして村中の者がみなやってきて外の様子を訊ねた。

また自分たちのことは「秦の時代、先祖が時の戦乱を避けて家族を引き連れて、この人里離れた所に来てそのまま二度とここから出ず、外界の人と隔たってしまったのだ」と言った。

そして「今は何という時代か?」と訊ねた。

 

なんと、漢という時代も魏や晋という時代のあったことすら知らず、漁夫がいろいろ話してやると、みな驚きのため息をつくのだった。漁夫は皆の家に招かれ酒や御馳走でもてなされ数日間過ごした。

そしていよいよ暇乞いをすることになったとき、村人たちは言った。

 

「外界の人たちにはお話になるにはおよびませんよ」

 

やがて漁師はここを出てもとの舟を見つけると先ほどの道に沿ってあちこちに印をつけた。

そして郡の城下に戻ると、長官にこれまであったことを話した。長官はすぐに部下をやって漁夫の後について行かせたが、先につけた目印は見つからず元の道を見つけることは出来なかった。

また、このことを聞いた南陽のある気高い人物は喜んで行ってみようとしたが、目的を果たさぬうち病気で亡くなってしまった。

 

その後は誰もそこへ行く道を訊ねる者はなかった。

 

《淵陶明の桃花源記より要約》

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と、こんなお話ですが、この桃花源記は、詩人である陶淵明が世俗での束縛された生活を嫌って夢想した理想郷だと思われます。

また桃源郷という言葉も、この桃花源から由来したものと言われています。

 

今回また改めてこのお話を読み思いました。

今の何かと生きずらい世の中、陶淵明のように出来るだけ自由に自然体でいきたい!そう思う人は多いのではないでしょうか?

 

私もその一人です。

しかしこの世はままならない。

せめてほんの一時でも「桃の花咲く林と澄み切った清流」を思い描いて淵陶明の「桃花源記」味わっています。

 

もし興味のある方は、「陶淵明」お勧めします。