『市川沙央さん』
初めてこの方を知ったのは、芥川賞受賞者発表の席でした。
何気なくつけたテレビに映し出された、車椅子姿の女性を見た瞬間、はっと息をのみました。
おしゃれな洋服に身を包み、髪型はおかっぱ風のボブ。
全体のシルエットはエレガント。でも彼女の表情は緊張のためか硬くこわばって、目元は不眠が続いた人のように憔悴しきっている。一体この方は?!私は尋常ではないものを感じた。これが芥川賞受賞者、市川沙央さんの初印象です。
その後、すぐに彼女が重度の障害を持つ人であることを知りました。
病名=筋疾患先天性ミオパチー:骨格筋の先天的な構造異常により、筋力、筋緊張低下を示し、呼吸障害、心合併症、関節拘縮、側弯、発育、発達などの遅れ等を認める疾患群というもの。
後から分かったことですが、市川沙央さんの病いは相当な難病であり、今日に至るまでには傍からはうかがい知れない艱難辛苦の道のりを歩いてきたようです。
そんな中で執筆し、今回芥川賞を受賞した作品「ハンチバック」は、いろいろに取り沙汰され、これまでにはない衝撃作、是非読むべき作品などと言われました。
◇
それから次に再び市川沙央さんの姿を目にしたのは8月の末の頃。これも何気なくつけたフジテレビの夜の番組「Mr.サンデー」でした。
それは今を時めく芥川賞作家、市川沙央さんの住まいを訪れて、彼女のプライベートを取材するというものでした。
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市川沙央さんは、書斎を兼ねた自室でしょうか。趣味のいい落ち着いたインテリアに囲まれて、ゆったりと座っていました。
いかにも上質そうな、しなやかな生地の洋服を纏い、前回見た時とは打って変わってリラックスした様子です。
すでにインタビューが始まって少し経っていたのかもしれません。彼女は不意に思い出した、というように正面に顔を向けて言いました。
「私、いまエッセイを頼まれていて、それを書かなければいけないから、あまり時間が無いんです」
一語一語絞り出すような声でした。
※話すのにかなりのエネルギーを必要とする市川さんのため、質問事項は前もって送られていたとのこと。
彼女はどこか挑むような表情で突き放すように言ったあと、更に続けました。
「私がなにか話すと、すぐ炎上するから・・・。でもナベツネが以前言っていたけど、悪名は無名に勝ると!」
一語一語、全身から絞り出すように不敵な調子で言い放った彼女。でもその強気な言葉とは裏腹に、眼差しには子供が悪戯をして見つかってしまった時のような、ちょっぴり不安気な色が浮かんでいました。(あくまでも個人的な感想ですが)
それにしてもナベツネ(あの読売新聞の渡邉恒雄氏)の名前が突然、市川沙央さんの口から出てくるとは!
(かなり面白い人です)
それから彼女は少しして、Mr.サンデーの司会者、宮根さんに向かって次のように声をかけたのでした。
「すみません。私、以前はお昼の番組、ミヤネ屋だったんですけど、今はゴゴスマなんです。すみません」
少し悪戯っぽく、どこか、しおらしく言ったのでした。
(このあたりは役者さんですね)
すると宮根さんが「また戻って来てください。ミヤネ屋に!」と市川さんに真顔で返していました。
(いいコンビ?!)
そんなわけで、たまたま目にしたMr.サンデーでは、市川沙央さんはユーモアがあって、とてもチャーミングな人だと大いに盛り上がっていたのでした。
私も彼女の発する言葉の一つ一つ、目の色、表情の変化などから、市川沙央さんの可愛らしいところや、憎まれ口を叩くときの堂々たる不敵さなど、大変愉快な楽しい時間を過ごすことができました。
「市川沙央さん」という人に興味を持った私は、彼女の経歴を調べてみました。
彼女は今日の栄誉を手にするまでにどんな道のりを歩んできたのか?
「小説家になろう!」
その中で書くことに関しては、彼女は20歳のころ、難病を抱えた自分に何ができるか?と考えたとき、小説家になろう!それしかないと思ったそうです。
そして彼女は「何か職業が欲しかった」とも語っています。
最初、文学界に応募しようとしますが、5枚位書いたところで書ききれず断念。それ以降、コバルト・ノベル大賞に20年以上応募し続けました。だが、3次まではいくものの受賞できず。
しかし、長い時を経て機は熟したのでしょうか。
「強く訴えたいことがある!」
市川沙央さんはその思いで、かつて一度は断念した純文学の登竜門、文学界に向けてもう一度挑戦し、新人賞を受賞します。
そしてその作品「ハンチバック」が169回芥川賞受賞となりました。
◆この間、彼女は自分が抱えた重度の病と闘いながら、身体のせいで人並みに通えなかった学校(高校)や、学業を一人コツコツと学び積み上げ、2023年には早稲田大学を卒業。卒業論文は高く評価され「小野梓記念学術賞」を授与されています。
受賞作品の「ハンチバック」は、親が遺したグループホームで裕福に暮らす重度障害者の井沢釈迦を主人公に、話は進行していきます。
内容は冒頭で、彼女の父親が「なんて破廉恥な!」と怒っていたという描写で、まずは一発ジャブをかまして読み手をかく乱し、最終章では下手をすると、読者はなにがなんだか理解不能なままでKOされて終わる、という奇天烈な締めくくりで幕が下ります。
この作品をどう読み解くかは人それぞれだと思いますが、市川沙央さんが訴えたかったと言っているのは、一つは障害者に対応を!ということです。障害者に対する読書バリアフリーが進むこと。読みたい本が読める環境整備を進めてほしい。
健常者があたりまえに読んでいる紙の本は、自分には1ページめくるのさえ困難だと言っています。
その他、この作品が訴えたいことはなにか?審査員の方々が講評の中でさまざまに言っていますが一部だけ取り上げます。
講評① 冒頭の破廉恥な、(と彼女の父親が言った)書き出しも、意味不明の終わり方もすべてよしとし、この本は健常者優位主義(マチズモ)の社会に対する挑戦であり、嘗てない衝撃的な作品である。
講評② 最後の終わり方がわからない。彼女はこの作品を最後に投げ出したように思う。
この作品をかなり全面的に肯定する講評と、反対によく分からないというものがあります。
以前、非常に良い作品は、評が真っ二つに分かれる、という話を聞いたことありますが、どうなのでしょう?
彼女の今回の作品を他者がどう批評するかは別として、市川さんのこれまでの経歴をみますと、この作品を書くまでには、たゆまぬ努力とあくなき執念をもって自分の信じる道を歩き続けてきた、そんな凄さを感じます。
家族には、「けして読まないで!」と言って不自由な身体で秘密裏に書いた小説「ハンチバック」
書くのに行き詰まった時は、散歩のかわりに『ショパンの雨だれ』をよく弾いた。と彼女は綴っています。
エッセイ
先日、病院の帰り図書館に行ったおり、文学界を手にすると、市川沙央さんの「受賞後初の特別エッセイ」が載っていました。
Mr.サンデーで彼女が話していたものでしょうか?
文章は硬質な中にもユーモアやどこか少女っぽい想像力がちりばめられていて、自分の予言癖のことや、生まれ変わりのことなどが面白く書かれています。
また、自分の家族のことなどにも触れ、ご両親やお姉さんとの関係はほのぼのしたものであることを想像させます。
お父さんとは作品のことでまだ冷戦中ということですが、これは沙央さん独特のユーモアかもしれませんね。
また彼女と同じ病を持つというお姉さんは、「私(市川沙央)という作家の誕生を喜んでいる」と最後に締めくくっています。
私は市川沙央さんのことをいろいろ調べながら、いつの間にか彼女の受賞作品を読んだような気になりましたが、いつかゆっくり「ハンチバック」味わいたいと思います。
では市川沙央さんの今後のご検討を願って、終了します。