ブログ百科ララ♫

幸せな人生を送るために書くブログ集

【五月、きらめく光と風の中で】

五月といえば、私が連想するのはバラ。

バラは恋の花~♪という歌もあるが。

 

 

昨年の今頃は歌手、塚田三喜夫の歌う「五月のばら」、

に関してのブログを書いたのを思い出す。

 

あの伸びやかで瑞々しい歌声は、

遠い昔に初めて聞いた時よりも更に深く心に沁み入った。

 

今はもう決して会えない、別れた恋人との在りし日の思い出を唄う

悲しい歌。

なのに五月の煌びやかな光と風のように清冽な香りを放つ歌声。

 

 

制作は作詞(なかにし礼)作曲(川口真)編曲(前田憲男)、

という錚々たるメンバー。

新人、塚田三喜夫はこの曲で世に出た。

 

五月のバラは、その後多くの歌手によってカバーされたようだが、

ブログを書きながら聞き比べてみると、やはり彼の歌声が一番好きだ。

 

何が魅力かというと、甘美という言葉が当てはまるだろうか。

 

音楽祭で新人賞、最優秀歌唱賞を受賞した圧倒的な歌唱力は、

繊細でありながらスケールが大きく、聞くものを優しく包み込む。

 

私は過去に何気なく耳にした五月のバラが印象にあったが、

その後しばらく音楽から遠ざかっていた事もあって、

塚田三喜夫という歌手のことは半ば忘れていた。

 

それがここにきて彼のことを検索してみたたところ、

彼は五月のバラ、その他のヒット曲以降は、ミュージカルに進出しバリトン担当の俳優として活躍していた。

 

そして以上に記したことに加えて初めて知ったのは、

彼はすでに亡くなっていたのだ。

 

享年56歳、肝硬変だった。

 

私はあたかも自身の恋人を亡くしたような傷みを感じた。

彼にはもっと生きていてほしかった・・・。

 

彼の死を知った今、5月のバラの歌詞の意味が一層心に沁みてくる。

 

(さよなら)

5月 この僕が帰る

まばゆい 5月

紅いバラは 思い出のバラは

君の庭に咲くだろうか

(さよなら

水を花びらにあげて

涙の水を

恋のバラに 悲しみのバラに

君の白い ほほよせて

忘れないで 忘れないで

時が流れ過ぎても

むせび泣いて むせび泣いて

別れる君と僕のために

 

以前は最初の歌詞、さよなら、に違和感を感じていたが、

今は彼からの別れのメッセージのように聞こえる。

 

彼は結婚して娘さんがいたというが。

彼の人生は幸せだったのだろうか?・・・。

彼に一度会ってみたかった。

 

ああ、今年もまた書いてしまった、五月のバラ。

 

再び巡りきた5月、私はもう決して手にできないものへの感傷に浸りながら、

彼が遺した「五月のバラ」や「少女夜曲」などを聞いている。

 

 

            ◇

 

訃報といえば、五月に入って星野富弘さんが亡くなったことを知った。

 

星野富弘さんは、体育教師をしていた若いころ事故で頚髄を損傷、手足の自由を失う。その後、逆境の中から口に筆をくわえて絵を描き、詩を書いていく。

 

その後、キリスト教の洗礼を受け結婚もし、雑誌や新聞に詩画作品やエッセイの連載を始める。

全国各地、海外でも「花の詩画展」開催する。

 

彼は群馬県の人。

何年か前、草木湖という湖の側にある富弘美術館に行ったことがある。

 

途中からトロッコ列車に乗って行った先にあったのは、

山と湖に囲まれて静かに建つ美術館だった。

 

湖のほとりにはホテルがあるという。

もう一度来た時は、そのホテルに泊まりたいと思ったが、

星野富弘さんは逝ってしまった。

素朴な花の絵と心に沁みる言葉を遺して。

 

彼の本は手元に2冊あって時折開いてみるが、

いつ見ても新鮮で温かい気持ちになる。

 

自身の境遇に絶望し、苦悩しながら徐々に生きる光を見出していった

彼の人生が伝わってくる。

 

 

 

 

             

 

 

               ◇

 

 

そしてこの五月、遅ればせながら知ったのは、あの「ラ・カンパネラ」で有名なフジ子・ヘミングさんの訃報、彼女は先月の21日に92歳で亡くなっていた。

 

この方を初めて知ったのは随分前、友人が素晴らしいピアニストがいるからと送ってくれたラ・カンパネラのCDだった。

 

 

本名、イングリット・フジ子・ヘミング

日本人の母(ピアノ教師)とロシア系スエーデン人(画家・建築家)を両親としてベルリンに生まれる。

 

家族で日本に一時暮らすが、父親は開戦まじかい日本から自国へ帰る。

その後、母の手一つで東京で育てられる。

 

ピアノは幼少時から母、その後レオニード・クロイツアーに師事。

青山学院、芸大を経てNHK毎日コンクール賞受賞。

ベルリン国立音楽学校卒業。


自伝を読んだが、彼女の稀有な才能をレオナード・バーンスタイン(20世紀を代表する指揮者・作曲家)から認められながら、大事な演奏会の直前、風邪をこじらせて聴力を失い栄光をつかみ損ねる。

 

その後、長い時を海外で過ごし日本に帰国したのは約30年後。

 

彼女は1999年放送、NHKドキュメンタリー「フジコ・あるピアニストの軌跡」でクラシック界にフジコブームを巻き起こす。

 

このブログを書いている途中、このドキュメンタリーの再放送を見て感じたことは。

 

リストを弾くために生まれてきたピアニスト、

といわれる彼女の「ラ・カンパネラ」。

これは優しく撫でるようなタッチで奏でられ、

「私は音の一つ一つに色をつけているの」

と彼女がいうように鐘が鳴っているかのように聞こえた。

 

そのほかショパンや、ベートーベンも弾いたが、高名なピアニストにありがちな

技巧に走ったところや厳めしさがない。

 

特に彼女が自分の不遇時代、自らを慰めるように弾いたというベートーベンの月光は、淡々として物哀しく、彼女の人生の孤独を思わせた。

 

彼女の素顔は飾り気がなく、しゃべり方など、60代とは思えないキュートなものだった。

 

ピアノの弾き方について彼女の言うことには、「少しくらい間違ったって気にしない、機械じゃあるまいし」だった。

 

どんなに上手に弾くよりも大切な何かがあって、彼女のピアノはそれを伝えてくれるのかもしれない。

 

そして、そこに魅せられたある漁師さん(海苔を作る人)がいた。

彼はフジコ・ヘミングのカンパネラに痛く感動して、数年かけて弾けるようになったという。

ピアノなんかまったく弾いたことのない人が、とても難解で超絶技巧が求められるというカンパネラをちゃんと弾けるようになった。

このエピソード、テレビで見たが、この方の一途な思いにも大感動!!

 

そしてそれが映画になってこの秋、公開されるという。

この映画化については、はてなブログのあるブロガーさんの記事を見て知ったばかり。

 

映画、「ら・かんぱねら」私もぜひ見たい!

 

 

今回の記事は、気が付けば訃報の話でまとまりました。

 

この五月の光と風のように美しいものをこの世に遺して下さった皆様、

ありがとうございます。

 

いつまでも忘れません。

 

どうぞ安らかにお眠りください。