こんにちは。
ブログ百科ララ♫の杏花です。
春に足腰の不具合が再発してから病院通いをしたり、今後の治療方針を考えている間に季節は夏へと移り変わっています。
通っていた整形外科に飽き足らず、自力でストレッチを続け6月中には少しでもいい方向に、との計画も満足な結果は得られず。
また足が治ったら行こうと決めていた『旧古河庭園のバラフェスティバル』、これも6月末までということで残念だが諦める。
電車に乗ればほんの2、30分くらいで行けるところだから行くことはできるが、庭園をゆっくり散策することは無理だろう。
羽根をもがれた鳥のような悲観的な気持ちになる。
でも、すぐに気持ちを切り替えて、自転車で15分くらいのところにある農業公園へ行った。
気持ちが晴れない時はあそこが一番だ。
農業公園には野菜畑やハーブ園があり、以前野菜造りに参加していた時は、収穫時にモロヘイヤやピーマンなどたくさんもらってきたが、今はもうそういう催しは終わってしまった。
でも早春には紅や白の梅林が美しく、桜の季節には何本という桜並木がピンク一色に染まる。そして今頃は季節の花が公園のそちこちに咲き誇る。
川に沿ったサイクリングロードを走りながら、川岸に白さぎはいないかと探したり、エンジン音高く川面を行く船に目を奪われたりしているうち、公園のこんもりとした緑が見えてくる。
土、日は人が多いが平日はさほどではない。
土手に自転車を止めて公園内に入っていくと、まだバラの花は咲いていた。
旧古河庭園のような豪華さはないが、ここは野趣があっていい。
そして私の好きな竹林の静かな佇まい。
今は昔、竹取りの翁というものあり。
野山にまじりて竹をとりつつ
よろずの事につかいけり。
風にさやさやなる竹の葉を眺めていると、朗読でやった『竹取物語』の冒頭が思い浮かぶ。
竹から生まれたかぐや姫は、月で大罪(姦淫の罪・神の子を身ごもる)を犯したのでこの地上へ流刑に処された、という話がある。
そしてなよ竹のかぐや姫は、彼女の美しさに魅了されいい寄る男たちに、とてつもない難問を出し翻弄する。地上の女にはない大胆さだ。
そしてこのお話の結末は、刑期?を終えて罪を許されたかぐや姫のもとへ、月からの使者が迎えに来て、彼女は本来の住みかである月の都へと昇天していくというもの。
こんな不思議なお話を誰が作ったのだろう?だが作者は不詳とのこと。
ますます謎めいて面白い。
足に負担がかからない程度に、農業公園をめぐって花を見たり、野の香りを嗅いだりして楽しんだ。やっぱり自然はいい。何より癒される。
つい数日前、夕方と夜の間の時間帯だった。
何気なくベランダに出てみると、そこにはあまり見ない光景が広がっていた。
バラ色と水色が溶け合った空。その中に浮かぶ月。
甘美な夕焼け。
この瞬間に出会た光景にじっと見いりながら思う。
今、私は狭い肉体に閉じ込められて思うようにならないが、いつかそうしたことから解放される時が来るのだろうか。
それともこの世に生きている限り、この不自由さから抜け出すことはできないのだろうか?
いつか、詩人の谷川俊太郎さんが「今は死ぬのが楽しみ」と、雑誌の中で語っていたのを思い出す。
あの方の年はわからないが、少年のような澄んだ目をしている人だ。
人類最大の謎、死は自らが滅びることで何かが解明されるのだろうか?
それとも、人はただ無に帰るのみなのだろうか?
何処からきて何処へ行くのかわからないまま生き、そして死後のこともわからない人間、なんて不安定な寄る辺ない存在だろう。
かぐや姫はいい・・・罪が許されて故郷の月へ帰って行ったのだから。
◇
6月の末に詩吟の審査会があったが、友人のBさんからLINEで報告があった。
「私は、あまりよくない批評をいただきました。言葉がはっきりしない。それから母音をもっとしっかりと意識することって言われました。やっぱり詩吟って難しいですね」
それから「Mさん(私のこと)のいないお稽古はとても寂しいです」と涙目の顔文字が2つあった。
彼女と私は去年、同じころに入会した。年も近く波長が合い、いつも帰りにはカフェに寄って色々な話をした。
私は彼女にこう返した。
「審査会お疲れ様でした。詩吟は母音に帰す、と言われているから語尾をしっかり歌うことが大事だと思います。私もBさんと早く一緒に詩吟をやりたい。リハビリ頑張ります!」と涙目の顔文字付きで。
私がもし反対の立場だったら、Bさんのいない稽古は寂しいだろうな・・・早く治したいと思った。
だが、私の思いとは裏腹に、脚の具合は一向に良くならない。
6月もあと何日で終わろうとする日だった。
夜中に目が覚めると、右足の先まで疼痛が走って眠れない。
右を向き、左を向き、仰向け、うつ伏せと360度姿勢を変えてみるが、ツーンツーンという痛みは止まらない。
変形性股関節症の症状の一つに、安静時の疼痛というのがあるが、それにしても毎晩これではまいってしまう。
病院にはもう行かない、自力で治す、と決めたものの鎮痛剤も切れたままだし、もう一度だけ行ってみようか。
翌日、インターネットの検索で前から気になっていたK整形外科に自転車で向かった。
そこは口コミでは「人に紹介してあげたい良い整形外科」とあった。
ちなみに、私が少し前まで通っていた整形外科の評判は
「医師はこちらの話にはほとんど耳を貸さず、一方的に話すばかり。また患者の状況を把握しておらず、説明しても理解できない。2度と行きたくない」
「患者の話に冷たい視線を向ける医師、こちらの言うことをすべて否定する」
というものであった。
物事の印象はそれぞれの受け取り方で異なるが、私も実際に行ってみて似たような印象を持った。
「手術をすれば楽になる。何なら紹介しますよ」
レントゲンをざっと見たあと、医師は言った。
患者の状況、気持ちに合わせて治療方針を説明、提案したりというきめ細かさはない。
家から近いからという理由で行ったが、もっとよく調べてからにするべきだったと思う。
そして整形外科にはもう頼れない、と思ったが、私は一縷の望みを持ってK整形外科へ自転車を走らせた。
20分近くかかって着いたK整形外科は、建物は古いがこざっぱりした感じの病院だ。
やがて名前を呼ばれ対面した医師は、気さくそうな話しやすい人だった。
レントゲンを見て「腰の狭窄はあるが、変形性股関節症の方は、形成不全はあるがそれほどでもない」と言った。
それから今の症状を詳しく聞かれ、夜ひどく痛むことを話すと、寝しなか、それとも夜中に目が覚めたときかと聞いた。
「寝しなではなく夜中に目が覚めた時です」というと「夜中にですね」と確認するように言った。
「手術しなければ治らないような状態でしょうか?」と訊ねると
「いや、まず薬を2週間飲んでみてください。今まで飲んでいた鎮痛剤ではなく神経痛の薬を飲んでみてください。腰の狭窄があるから、神経に触って痛みが出るのかもしれないから」と言った。
またキッチンに立って料理などするときにも痛むと話すと
「あまり無理をして頑張りすぎないようにね。椅子に座ってやったりしてね」と言った。
先生とやり取りしながら、気持ちが徐々に安らぎほぐれていくのを感じた。
「今日は少し腰の治療をしていってください」
最後に先生は言った。
「はい」私は答えながら感謝の気持ちでいっぱいだった。
一人で一生懸命に立っていたのが、しっかり受け止めてくれる人が現れたようで嬉しかった。
詩吟の友達Bさんも言っていた。
「きっと治ると信じましょう!」