こんにちは。
ブログ百科ララの杏花です。
爽やかな五月の光に誘われて、いろいろ溜まった用は早々に切り上げ公園の緑の中へ。
道路を行く人も車の往来も無縁に一人詩吟を詠う。
詩吟教室を休んでから一か月と少し経った。
いつも教室の帰りにお茶を飲んでおしゃべりしていた友人とは、
「足がよくなったらまたお茶しようね」と話し合い、
あれからもう半月が過ぎる。
私の足は少し良くなったかと思えば、また痛みが出て夜眠れなくなったり・・・。
今通っている整形で、理学療法士のリハビリを数日おきに受けているが、
受けた翌日に痛みが出て思うように動けず、このまま通っていてよいものか?
と不安になったり、爽やかなこの五月とは裏腹に心は曇っていく。
考えてみれば何年来の親友とは、去年の十二月にあって以来ご無沙汰している。
彼女は営業の仕事をしているので、相変わらず多忙なのに違いない。
新潟出身で酒豪のBさんと出会ったときは、対等か自分より強い人に出会って良かったと喜びそれ以来、幾杯の盃を交わしてきたことか。
しかし、先に私のほうがダメになったのだった。
原因は「変形性頚椎症」という持病である。
原因は不明だが、これはもう20代の頃からだ。
Bさんと飲んだりおしゃべりしたり楽しい時間を過ごした後、
彼女は普通の日常に戻れても、私はそうはいかなくなったのだ。
首や肩が強張って身体に力が入らず、使い物にならない。
そして今は変形性股関節症を患っている。
骨折ならまだしも、この変形性というのは病院に行っても手術をするほどでなければこれといった治療法がないから困る。
はた目にはほぼ分からないし、本人もいつの間にか諦めて我慢して生活を続ける。
「元気だ!」「姿勢がいいわね!」
とか言われてニコニコしているが、「私、具合が悪いのよ。何とかならないかしら!」と本当は叫びたい。
そんな訳でこの何年、人知れず悩ましいこの身体と付き合いながら生きている。
だが、この身体と一生付き合生きていくしかないのだ。
そう思えば気も楽になる。
人生、ああしよう、こうでなければという思いが強ければ強いほど無駄に疲れるということが分かった。
そこでふと思い出したが、最近亡くなった作家の西村賢太さんの作品にこんなのがあった。
「どうで死ぬ身のひと踊り」
それから、親しい友人としばらく会っていないということで思ったことは
「さよならだけが人生だ」という言葉。
これは極端と言われるかもしれないが、私は今までに何人の人と会っては別れてきただろうと考える。
思えば、人生とは会っては別れ、会っては別れの繰り返しなのではないか。
さて序文が長くなったが、今日書こうとしたのは「人生の中でどうしても手にいれたいもの」だった。
手に入れたいもの、昔、非常に若いころは確かにあった。
人生は期待に満ち、望めばすべてが可能に思えた時期があった。
手に入れたいというか、願望というものが多々あった。
音楽の道を歩みたい。
海外文学や洋画で見た外国諸国を巡ってみたい。
情熱的な恋愛をしたい。
感動的な小説を一つでも書きたいetc。
そして物でいえば20代の頃、どうしてもピアノが欲しくて黒光りしたアップライトのピアノを購入、狭いマンションの一室に置いた時は満足だった。
キラキラした夢のかけらは多少満たされたけれど、砕け散ったものもある。
あれから幾星霜経った今、海の見える場所に暮らしたい、草木や花が咲く庭のある古びた家に住みたいと思うようになった。
考えてみれば、私は幼いころ潮騒を聞きながら生まれ育ち、そこを離れた後は深い森の中での生活があった。
それを経て大都会へ。
賑やかで色んな人がいて様々な面白い場所があって、
毎日がドラマのように過ごせる都会の生活が好きだった。
それはいつまでも変わらないものだと思っていたが・・・。
今は自然こそが自分にとって最も価値あるものだと思うようになった。
海を眺めて、樹木や花の匂いを嗅いで暮らしたい、そう思うようになった。
長いこと潜在意識の中にあった場所へ帰りたいという願望が強くなったのかもしれない。
もしそれが叶えられたら、他にはもう何もいらないような気がする。
きっとそこが私にとっての「桃源郷」なのだから。
今日は何故か(です・ます調)ではない調子になりました。
また今回は、未完のまま間違って公開してしまい申し訳ありませんでした。
それでも星印をつけていってくれた方、そして多分「なにこれ?!」と呆れて去っていった方、皆様にお詫びと御礼を申し上げます。
ありがとうございました!