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《水無月に思うこと・芥川龍之介が詠んだ歌》

こんにちは!

ブログ百科ララの杏花です。

 

爽やかな5月の到来も行きすぎてもう6月。

6月(旧暦)を水無月(みなづき)とも言いますが、この季節になると思い起こす歌があります。

 

また立ちかえる水無月

嘆きを誰にかたるべき

沙羅のみず枝に花咲けば

かなしき人の目ぞ見ゆる

 

芥川龍之介「相聞」より

出典:photoAC

この歌は以前、私が朗読の講座を受講していた時、テキストに載っていたものです。

小説、詩、随筆、短歌などの作品を取り上げ、女性アナウンサーの講師が指導のもと、しばらく学んだのですが、中でもこの詩は強く印象に残っています。

 

声に出して読んだ時の言葉の響きの美しさ。

水無月、嘆き、沙羅のみづ枝、かなしき人の目など。最初から最後まで、どれをとっても選び抜かれた言葉のハーモニーです。

 

この作品はどこにも発表はされていないそうですが、作者が特別な思いを込めて書いた作だといわれています。

 

「相聞」とは愛人に寄せるものの意味で、当時、作者は妻子のある身ながら、ある年上の女性に恋し、その思いをこの詩に託したようです。

 

妻は、作者が「文ちゃん」と呼んで愛し、結婚を一度は反対されながら一途な純愛を貫いて結婚した女性。そして子供にも恵まれて。

なのに恋多き彼は、さらに自分の理想とする女性に巡り合い、心を燃やしたのでしょうか?

でも、理知的な彼はそれを歌の中に昇華させ、破滅的な危機を乗り越えたともいわれています。

 

芥川龍之介は、私が10代の初めに「杜子春」という作品を読み、いたく感動した作家です。

その後、国内外、様々な作家の作品に触れましたが、ごく若い時に読んだこと、そしてこの詩の中から感じられるように、彼の作品には感性の瑞々しさや美しさが自然と香り漂ってくるところがあり、今も好きな作家です。

 

芥川龍之介の特異な生い立ちや、恋した女性たちのことなどは、ここで細かく振り返ることはしませんが、この歌を詠んだ約3年後に自ら命を絶った彼は何を思いながら亡くなっていったのだろう?としばしば考えます。

 

彼は妻や3人の幼子たち遺る家族を思いやり、すまない、申し訳ないと思いながら逝ったのだろうか?それとも彼はただ現実から解き放たれたい、静かに永遠の眠りにつきたいと、それだけを思いながら逝ったのだろうか?

 

そんなことを考えても詮無いことと思いながら、あの顎に手を添える独特のポーズが思い浮かびます。

 

そういえば、朗読の養成講座を修了したあと、グループで朗読の会を開いたりしたのですが、私は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を朗読したのを思い出します。

 

「ある日のことでございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちをーーー」で始まる蜘蛛の糸、こちらも朗読にうってつけの流れるような文章でした。

 

容姿も端麗な方でした。

 

いわゆる「美」というものは、滅びるがゆえに美しいのでしょうか?

 

水無月は、私にとっては大正の文豪・芥川龍之介を偲ぶ月なのかもしれません。

 

 

いよいよ関東も梅雨入り?という情報が入りました。

 

どなたか忘れましたが(作家だったと思いますが)、この梅雨時が最も好きな季節だ、といった方がいました。

雨に煙る情景がとても幻想的だ、とおっしゃるのです。

出典:photoAC

いつの季節も、そんな風に見方ひとつで楽しめそうですね。

でも、ほどなく到来するであろう夏の炎天下、酷暑、これだけは愛する術が見つかりそうにありません。

 

どうやって生き抜こうか?!

 

今から不安ですーーー