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幸せな人生を送るために書くブログ集

【思い出の場所・高台の寺】①岐路

お題「思い出の場所」

 

紅葉(こうよう)の綺麗な季節になりましたね。

 

家の近くをすこし歩いただけで、黄色く色づいたイチョウ

赤や褐色の紅葉が目を楽しませてくれます。

 

私はこの時期になると、必ず頭に思い浮かべる場所があります。

 

それは「東京の山の手にあるお寺」です。

 

これから書くお話では、お寺の名称、場所など詳しいことは控えますが

一度は書き止めておきたい思い出の場所です。

 

久々にひいた風邪がやっと抜けて、元気になった12月の或る日

私は電車に乗って20分くらいで着く、その地に降り立ちました。

 

正午を少し過ぎたころで、お昼を食べに行くのでしょうか。

街にはスーツ姿のサラリーマンたちが行き交っています。

 

通りには中華の店、お寿司屋さんのランチ、イタリアンなど様々な食事処あり。

 

車や人で賑わう町中をしばらく歩いて行くうち、目的の坂が見えてきました。

 

閑静で瀟洒(しょうしゃ)な住宅地の坂を上っていくと、いつの間にか街の喧騒

は消え、やがて高台にある山門が目に入りました。

 

私は一礼して中へを入りました。

 

 

私が初めてこの浄土宗のお寺を訪れたのは、今から約十年前です。

 

その後、今日までの間に何度か訪れていますが、この日もいつものように

境内は静まりかえり、色づいた落ち葉がそちこちに散っています。

 

私は感慨深く辺りを見回しながら正面に立つ本堂に向かいました。

 

ほんの短い間でしたが、時を経てもこのお寺でのことは、今も忘れがたい

記憶となって胸の中に残っています。

 

 

「岐路」

お話に入る前に、私がこのお寺へ来ることになった経緯について少し

話しておきたいと思います。

 

そのころの私は、長年勤めた会社を退職し自由の身になっていました。

まだ幼い息子を抱え、シングルマザーとして日々働き通してきた私でしたが

これからは何物にも縛られず自分の思い描いた道を行こうと、新たに決意

していた時でした。

 

そして夢に向かって踏み出した或る日、思いもかけない知らせがありました。

 

『別れた夫の死』

 

それは私達母子にとって衝撃的なことでした。

 

別れてから何年かは経っていましたが、夫からは定期的に息子に連絡があって

食事などをしていました。

でも、ここしばらく連絡はなく、また息子の方も学業とアルバイトで忙しい

日を送っていました。

 

そして私も、自分の今後の計画でいっぱいでした。

 

そんな状況下での夫の訃報。

私は自責の念に苛まれました。

 

一人孤独に亡くなってしまった彼、何故、具合が悪いと一言連絡して

くれなかったのだろう?

いや、何故こちらから連絡しなかったのだろう・・・。

 

例えどんな苦境にあっても人に頼ることが出来ない人だった。

だからそんな彼に寄り添えるのは、私と息子以外にはいなかった

と思う。

 

何故?どうして?

何度、自問しても悔やんでも、もう彼は二度と手の届かないところへ

行ってしまったのです。

 

彼との出会い、楽しかった日々、そして結婚と別れ、それらが走馬灯のように

頭を巡ります。

 

これまでの人生で、大抵のことは乗り越えてきたつもりでした。

でも今度ばかりは、どうにもならない取り返しのつかないことが

起こってしまったのです

 

私の中から自分の夢を叶えようという思いが急速にしぼんでゆきました。

 

そして彼の葬儀を済ませて少し経ったあと、私は自分の計画とは全くかけ離れた

道を歩いていました。

 

何とかこの砂を嚙むような状況から抜け出したい、何かしなければ。

そう思う或る日、新聞に入っていたチラシを見て私が衝動的に応募したのは

新聞の集金人でした。

 

何も考えずに飛び込んだ仕事、それは思ったより大変でした。

集金に行っても不在の家が多く、何度も足を運ばなければなりません。

 

私は、朝、昼、晩と憑かれたように一戸建てやマンションを駆け巡って

集金しました。

動いて自分を疲れさせれば、亡くなった夫のことを少しでも考えずに済むのでは

ないかという気持ちでした。

 

そしてしばらく経った冬の朝、私は2度目に起こった正体不明の発作で

救急車で運ばれました。

 

そして様々な検査を受けた結果、冠攣縮性(かんれんしゅくせい)狭心症

の疑いあり、との診断を下され、ニトロを渡されました。

 

「お母さん、もう頑張らないでいいから休んで。これからは僕がお母さんに

時間をプレゼントするから、家でゆっくり好きな事をしたらいいよ」

 

息子が私の枕元でそう言った時、私の身体からスーッと力が抜けていきました。

息子は大学を卒業し、社会人になっていました。

 

そんな経緯があって、私はしばらく家で静養していましたが、幸い発作は起こらず

狭心症の薬、ニトロを飲むことはありませんでした。

 

息子の言葉を有難く受けとった私ですが、少し回復するとあまり無理のない

仕事を週に何日かやってみよう、とハローワークに通いだしました。

 

そして或る日、求人票の中から目に留まったのが、境内の「落葉掃き」でした。

 

(こんな仕事があるの?)

 

好奇心にかられ、詳細を見ると週二日、一日二時間位とあります。

ただ、私の住まいからはかなり遠い場所にあるお寺です。

 

でも、この求人が一つのヒントになりました。

私は他にもどこかのお寺で、似たような求人広告を出してはいないか

窓口に聞いてみました。

 

そして結果は幾つかの求人先を紹介され、行くことになったのが

山の手にある高台のお寺でした。

 

仕事は週3日、9時~4時。

お寺の清掃を中心に、法事、催事などの手伝いです。

(私が興味を引かれた落葉掃きも、きっとあるにちがいありません)

 

その時の私は、出家とまではいきませんが、今の自分の心境にちょうど見合った

仕事が見つかったと、ホッとする思いでした。

 

こうした経緯があって、私は「お寺」という思ってもいなかった場所で

仕事をすることになりました。

 

考えてみると、若い日に好きな音楽をやりながら気ままに過ごし、そのままの人生を

全うするかに思えた自分でしたが、やがて家庭を持ち、そして破綻し、さらに今度は

人生の一時期を深くかかわって共に過ごした人との永遠の別れ。

 

「人生には明日何が起こるかわからない、全く予測不能のシナリオが用意されている

と思わずにいられません」

                                 つづく

 

「思い出の場所」というタイトルを頭に書きだしましたが、少し長くなりそうです。

 

この先は②落葉を掃く、に続きます。

 

1週間後位には公開したいと思います。

宜しければ、またお立ち寄りくださいね!